日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

人通りの多い街なかにある庚申塔 北九州市門司区柳町

へえー、こんな人通りの多いところに庚申塔があるんですね。ファッションセンター”しまむら”の出入り口のところに、堂々と祀られていました。ネットで、”北九州市庚申塔”というキーワードで、庚申塔を探していると、たまたま先人が紹介されていたので、訪れてみることにしました。

 

場所:福岡県北九州市門司区柳町2丁目

地図:Google マップ

石塔には”庚申尊”と刻まれていて、享和二年(1802年)の銘。江戸時代に、旧柳村の人たちに、たてられたんだそうです。そのころから、ずっと移動されず、ここに祀られているんだそうです。

門司区柳町近辺は、古い商店街と街並みが残る場所でした。

緒方宮迫(おがたみやざこ)の摩崖仏(まがいぶつ) 大分県豊後大野市

大分県豊後大野市緒方町に、ふたつ、おおきな摩崖仏があると知り行って見ることにしました。緒方宮迫(おがたみやざこ)石仏と、緒方宮迫西石仏です。石仏とは呼ばれていますが、岩壁に浮き彫りにされた、摩崖仏です。

 

ふたつの摩崖仏がある場所は近くて、200mほどしか離れていません。だから、片方の駐車場に車を停めて、摩崖仏間は歩いて移動しました。

どちらの摩崖仏も、国指定の史跡として登録されています。まずは、緒方宮迫東石仏から見てみることにしました。

 

場所:大分県豊後大野市緒方町鮒川

地図:Google Maps

 

駐車場から摩崖仏のある岩壁までは、歩いて3分ほど。舗装された坂道を歩いていきました。

訪れた日は天気ではあったものの、周りの湿気は高くて、道は苔むしていました。すべらないよう注意していきます。

りっぱなお堂が見えてきました。

”「ふるさとの文化遺産 郷土資料事典44 大分県」人文社”を読んでみると、こんなことが書かれていました。

 

間口2.27m、高さ7m余りの洞窟内に、大日如来坐像を中尊として、右に不動明王立像と天部二体の下半身、左には多聞天立像と仁王像が刻まれている。 

 

大日如来坐像の右側にある、”天部二体の下半身”とありますが、天部とはなんなのか?調べてみると…

衆生の輪廻転生において、六道(迷いのある世界)の一つ天道に住む神。天界に住む者の総称。天部 - Wikipedia

…とありました。

この、下半身だけの摩崖仏は、はっきりどの神様とはわかりませんが、大日如来坐像をはさんで、反対側に金剛力士像が刻まれている↓ので、この下半身の摩崖仏も金剛力士像が刻まれていたんでしょう。

ちなみに、不動明王立像と、金剛力士像とのあいだには、こんな穴がみられます。おそらく、昔はここに柱をかけて、お堂をくみ上げていたのでしょう。

 

これらの像には、国宝である臼杵の摩崖仏とおなじように、彩色がほどこされ、その跡がかすかに残っています。

 

中尊の大日如来坐像は高さ2.65m 方形の裳懸座(もかけざ)に結跏趺坐(けっかふざ)し、眉・螺髪(らはつ)・口髭は墨で、唇・衣文(えもん)・肉髻(にくけい)が朱で彩色されている。「ふるさとの文化遺産 郷土資料事典44 大分県」人文社

 

なんだか難しい言葉が並んでいます。肉髻(にくけい)って何?調べてみると、頭のてっぺんの、モコっとした部分なんだそうです。

よくよく、大日如来坐像を見てみると、背後にも装飾がほどこされているのが確認できます。細かいですね。ここは、頭光・身光と呼ばれる部分なんでしょうか。蓮らしき花が刻まれています。

さらに、洞窟の左側には宝篋印塔(ほうきょういんとう)らしき石塔も刻まれています。

この緒方宮迫東石仏は、地元のひとたちからは、”牛の守り神”として信仰されいて、旧暦の1月8日と7月8日には牛を連れた参詣客でにぎわうのだそうです。ですが、ネットで調べてみても、そのような画像は見当たりませんでした。

 

いまでも、旧暦の1月と7月には参拝がされているのかな?農業で牛を使うことがなくなって、もういまではなくなった光景なのかもしれません。

 

ここまでが、緒方宮迫石仏。西石仏はまた別の機会に。

珍しい まるでサーファーのような波乗り地蔵 豊後大野市犬飼町

小舟にのった地蔵菩薩が、岩壁に刻まれている。なんとも珍しい史跡が豊後大野市にあるという情報を得て、行ってみることにしました。

 

場所:大分県豊後大野市犬飼町下津尾

地図:Google Maps

犬飼町は小さな集落で、車を駐車できそうな場所は各所にありますが、なんせ道路が狭いので、地元のかたに迷惑がかからないよう配慮が必要でした。

 

ぐるぐる町の中を周った結果、犬飼警察官駐在所ちかく、空き地に車を停めさせてもらいました。ここの空き地には、廃材なんかが置かれてて、どこかの家の駐車場という感じでもなかったので、だいじょうぶかなと思いました。

 

地図:Google Maps

この空き地から、駐在所横を通り、線路を渡って浄流寺を横切って↓下の写真のような道へ出ます。この道は、大野川へ下っていく砂利道になっていました。目指す波乗り地蔵は、大野川の川岸に彫られているそうです。

↓途中、わかれみちになっていて、右側の川へくだるルートへと歩を進めます。

川岸に大きな岩があります。あれが、波乗り地蔵が刻まれている岩でしょうか。

↓右側の岸壁をザッと探してみても、何か刻まれている様子がありません。なんどか往復して、さらに周囲の岩肌も探してみてもそれらしいものが見つけられませんでした。

↓地面はこんな感じでゴツゴツ。なんだか、宮崎県にある鬼の洗濯岩のようなスジが走っています。ここは、江戸時代に豊後岡藩によってつくられた川港で、当時の石畳が残っているんだそうです。

↓念入りに、再度はじめにみた岩壁を探してみると、波乗り地蔵がありました。なんともわかりにくいです。この写真くらい引いた位置では、その姿は判別できません。よくよく見てみると、足元に「波乗り地蔵」と刻まれた石のプレートもあります。周囲の景色と同化しているので、これまたわかりにくい。

↓少し波乗り地蔵をアップにして撮ってみると…なんとか判別できました。線彫で、かつ、岩肌にも模様が浮き出しているので、これもわかりにくさを助長しているようです。

波乗り地蔵は左側を向いていて、やや前かがみ。小さな船に乗っています。船の周囲には波が彫られています。大分県の石仏や摩崖仏を巡ってきましたが、このような線彫りのものは珍しいです。よく浸食に耐えて、いままで残っていたなと思います。

この波乗り地蔵が彫られたいきさつには、ふたつの説があります。

1.中川公(岡藩主)が、参勤交代で犬飼から府内までくだる際、安全祈願のために刻んだ

 

2.雪舟が”沈堕の滝”を描くために、この地に来たとき、犬飼に立ち寄って描いた

 

案内看板より

おいしい台湾料理屋さん「錦城(きんじょう)」 北九州市若松区

中華料理屋さんって、メニューが豊富で、しかも美味しくて安いところが多いという個人的なイメージがあります。福岡県北部で、おいしい中華料理屋さんがないか探していると、北九州市若松区にこんなお店を見つけました。台湾料理「錦城(きんじょう)」

お店の外観をみると、なんかちょっと高そうなお店っぽいけど、ネットでの評判では比較的安くておいしい、ということだったので、安心して入店。

 

メニューはこんな感じで、定食とか…

ラーメンなんかの一品料理もあって、かなり豊富。

今回は、家族4人で行って、台湾ラーメン、五目かけご飯、点心、あと名前を忘れたけど、肉と野菜の炒め物(ホイコーローかな?)がご飯にのったもの…を注文。

 

台湾ラーメンは、名古屋発祥みたいで、台湾料理ではないけど、おいしいので中華料理屋さんに行ったときは、だいたい頼んでしまいます。その、台湾ラーメンがこちら。

台湾ラーメンは、そぼろっぽい肉が入っているのと、ピリッとした辛味が特徴。錦城の台湾ラーメンは、なんだかカレーっぽいスパイスが効いていました。580円。

 

五目かけご飯は、海産物がいっぱい。イカが大きい。

 

こちらが、名前を忘れてしまったけど、肉と野菜の炒め物がご飯にのったものです。

見てのとおり、脂ののった肉がトロトロでおいしいです。

そして、こちらが点心。真ん中の、桃のようなまんじゅうだけは、アンコが入っていて、甘いです。そのほかは小籠包やシューマイ、餃子のようで甘くない。皮がびっくりするくらいモチモチ。これまたおいしい。どれも濃いめの味付けのようですね。

 

ちなみに、こんな食べ放題コースもあるそうですよ。

店内は、テーブル席と座敷どちらもあって、小さい子どもといっても安心。今回は、テーブル席で食べたけど、ひとつひとつのテーブル席がセパレートになってて落ち着いて食べられました。

 

また、行くのが楽しみな飲食店がひとつ増えました。

 

営業時間

平日:11時から15時、17時から23時

土・日・祝:11時から23時

十五社神社の庚申塔 福岡県中間市

遠賀川沿いを走る県道27号線。ここを車で走っていると、気になる神社を見つけました。県道からも、境内に庚申塔らしき石塔が、いくつか祀られているのが見えていたからです。

十五社神社の場所:福岡県中間市下大隈1175−3

地図:Google マップ

 

十五社神社のとなりに、ラーメン屋さんがあって、駐車場もあるのですが、ここに車を停めるのは気が引けました。神社が祀られている下大隈(しもおおくま)という集落には、比較的たくさん路駐できる広い道があるので、路傍に車を停めさせてもらいました。

境内はこじんまりとしているけど、綺麗に手入れがされています。雑草などは生えていません。神社のすぐそばを、車がぶんぶん走り抜けていきます。帰宅ラッシュのときには、この道路あたりまで渋滞が続きます。今日は、比較的空いていて、車は走り抜けていくだけ。車からの視線を気にせず、境内を散策できます。

拝殿の裏っかわに、目指す庚申塔らしき石塔があります。しかし、これらのなかで、はっきりと「庚申(こうしん)」とか、「猿田彦」の文字が刻まれた石塔はなく、庚申塔の確証はもてませんでした。

こちらは、境内のいちばん奥、樹のそばに祀られていた石塔です。これも、なんとなく庚申塔のような形状です。雨風の浸食がはげしく、表面はボロボロ。昔は刻まれていたのかもしれないけど、いまは何も文字らしきものは確認できませんでした。

↓向かって右側面

↓向かって左側面

 

また、一番初めに見た石塔群へ戻ります。

やっぱり、庚申塔と確証のもてる文字は見当たりません。↑上の写真、一番右側の石塔に「文化元年」…西暦1804年の文字が刻まれていました。

しかし、これは干支で言えば「甲子(きのえ ね)」で、「庚申(かのえ さる)」ではありません

↑上の写真の一番右の石塔に、みなれない文字が一文字刻まれています。これから、なにかの手掛かりが見つかるかな…と思い、調べてみました。

↑どうも、この文字を変形させて刻んだものらしいです。意味は「たてまつる」「献上する」なんだそう。わかりやすく書くと「献」の文字と同じ意味を持つようです。この石塔もまた、庚申塔の手掛かりには、ならなかったです。

 

 

庚申塔という確証はもてない石塔群だったけど、いちおうメモ代わりに、十五社神社の石塔群をアップしておきます。

木原石仏 大分県臼杵市

膝のあたりまで地面に埋まっている仁王像で、国宝である臼杵石仏のすぐ近くにあります。場所は満月寺というお寺の入り口。臼杵石仏は、以前に拝観したので、今回はこちらの木原石仏を拝観。
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 膝のあたりまで埋まっているのは、臼杵川のたびたびの氾濫で、土砂が流されてきたからと、考えられています。
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鼻は、ある理由から削られていますが、その表情はウルトラマンのようで、なんともユニーク。
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大分県には、こういう石仏をいろんなところで探すことができるので、周っていて飽きないですね。

 

豊後高田市 小田原の庚申塔

場所:大分県豊後高田市小田原934付近

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大分県豊後高田市の河内から、小田原へとぬける農道脇に祀られる庚申塔

 

豊後高田市の中心部から、別府市方面にいくとき、時々通っていた道。ちょっとした、近道...というか、裏道。この庚申塔をちらっと見ながら、いつも通っていたので、なじみ深い。

 

三猿、二鳥、二童子が、本尊である青面金剛像の足元に表されてる。

 

あまり風雨に浸食されてなくて、とてもきれいな庚申塔