2020年現在、福岡県北九州市には7つの区があります。門司区、若松区、戸畑区、小倉北区、小倉南区、八幡東区、八幡西区です。これら7つの区は、1963年(昭和38年)まで存在していた門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市という5つの市が合併したことにより誕生しました。
今回の投稿では、1963年まで存在していた若松市の中学校について、知ったことを記録してみようと思います。
どうしてそう思ったかというと、若松市の中学校の教師をされていたかたに、若松市時代の中学校の場所と、ちょっとしたエピソードをお聞きしたからです。お聞きした内容を、ひとまずそのまま以下に記載してゆきます。
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若松市には第1中学校から第6中学校まであった
第1中は刑務所の跡地である”キタミナト”にあった。”キタミナト”には古くなった軍艦が埋められていて、それが防波堤の役割をしている。第1中は若松市のなかでも、いちばんはずれの場所にあったので、天気の悪い日は地面が悪くなりひどかった。
第2中は高塔山の”ヤマノド”にあった。
第3中は現在の高塔中学校の上にあった。男子中学校のとなりに女子中学校があって、学期は2年間だった。高塔山の上のほうに第3中があり、そのすぐ下側に第2中があった。第2中から第3中が見えていた。だから第2中の先生は仕事が夜遅くなっても「第3中の灯がまだともっているので、自分たちもがんばろう」…と仕事に励んでいた。
第4中は現在の石峯中学校で、藤ノ木という地名のところにある。
第5中は現在の洞北中学校で、島郷という地名のところにある。とてものどかな場所にあって、中学校に通う生徒の数も少なく、お互いにみんな家族とも顔見知りなので、6中のなかでもいちばんおだやかな学校だった。
第6中は第2中の分校で、”小石”という地名の場所にあった。火葬場のちかくのお稲荷さんの奥に第6中はつくられた。火葬場が稼働しているときは、風にのってにおいが学校まで運ばれてきていたため、その場合は窓をしめきって授業をうけないといけなかった。いまでは火葬場は墓地になっている。第6中のグランドは、第6中ができたときにはなかったので、生徒みんなで地面をならしてグランドをつくった。グランドで野球をやると、飛んだボールが海によく落ちた。落ちたボールを回収するため、ボートを漕いで海にいかないといけなかった。現在はそのグランドはバスの発着場になっている。
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以上の、お聞きした内容をもとに、それぞれの中学校がどこにあったのか、あるのか推測してみたいと思います。
第1中の場所
防波堤代わりの軍艦が埋められている場所は、軍艦防波堤(Google map)として現在も残されていて、わかりやすいです。そして”キタミナト”とは北湊のことで、現在も地名がのこっていました。↓下図の赤でかこんだ箇所です。
北湊の北側は大部分が埋め立てられています。むかしの海岸線であったと考えられる部分を青破線で示しました。作図してみるとたしかに海のまぎわに北湊があったことがわかります。
現在の北湊は工場地帯となっており、地図をながめるとその大半が埋立地のようです。ここからはまったくの憶測ですが、北湊地区のなかに「波打」という地区があり、ここに波打公園があります。地名から察すると昔の海岸線は波打地区であり、浪打公園付近に第1中があったのではないかと憶測してみました。
第1中推定場所:33.911347,130.802153
第2中の場所
第2中の情報はシンプルです。”高塔山の”ヤマノド”にあった”ということです。山ノ堂町という地名が現在も残っています(Google map)。この地区は住宅地が密集していますが、この地区から少し北東へはずれた場所に「若松中学校」があります。ここが第2中だったのではないかと想像します。
第2中推定場所:33.907163,130.801843
第3中の場所
高塔山の上のほうに第3中があり、そのすぐ下側に第2中があった。第2中から第3中が見えていた。だから第2中の先生は仕事が夜遅くなっても「第3中の灯がまだともっているので、自分たちもがんばろう」…と仕事に励んでいた。
というエピソードから第2中から高塔山方向へのぼっている高い場所に第3中があったことが想像できます。また、第2中から見て第3中は山のかげなどにはなっていないこともわかります。これらのことを考えあわせ、Google mapの3D機能をつかって第2中から高塔山方面をながめてみました。
上図の赤で囲んだ場所が、以上の条件にあった第3中の推定場所と考えました。平面の地形図で赤丸の部分を確認してみます。
上図の比較的たいらな場所が座標値(33.905987,130.799897)地点です。白山神社の西側にあたります。この場所を衛星写真でみてみます↓
第3中推定場所には、現在、駆逐艦 冬月 凉月 柳 戦没者慰霊碑があり公園になっているようです。またこの公園のすぐ北側は音楽専門店があり、この場所も比較的たいらとなっているようです。学校をたてるとしたら、山の斜面にたてるというのは考えにくいので、たいらの場所が多いこの場所ふきんを第3中の推定場所としてみました。
第3中推定場所:33.906080,130.799787
第4中と第5中の場所
第4中と第5中は現在ものこっているのでわかりやすいです。第4中は現在の石峯中学校(福岡県北九州市若松区今光一丁目12−12番8号:Google map)で、第5中は現在の洞北中学校(福岡県北九州市若松区竹並3087−1:Google map)です。
第6中の場所
第6中があった場所の情報をまとめると以下のようになります。
・第6中は第2中の分校で、”小石”という地名の場所にあった
・火葬場のちかくのお稲荷さんの奥に第6中はつくられた。
・いまでは火葬場は墓地になっている
・第6中のグランドはバスの発着場になっている
情報として有力なのは第6中のグランドは現在バスの発着場になっている…という箇所です。地図上にそれらしきものが確認できます。地点(33.919134,130.797480)で、北九州市交通局・市営バス 運輸課若松営業所となっています。
このバス営業所が学校のグランドだったということは、そのすぐちかくに中学校の校舎があったはずです。バス営業所のすぐ南側に中学校跡地らしき広場がのこっています。
↓なにも加工していない衛星写真と、海岸線や第6中の推定場所を図式化した衛星写真をならべてみます。
エピソードのなかに…グランドで野球をやると、飛んだボールが海によく落ちた。落ちたボールを回収するため、ボートを漕いで海にいかないといけなかった…というのがありました。
地図の海岸線(推定)とグランドの位置関係をみると、グランドのすぐ北側が海であったことがわかります。エピソードと地図の情報が合致するので、第6中の推定場所は有力ではないかと考えられます。
ただ、第6中ふきんにあった火葬場(のちの墓地)やお稲荷さんは、現在の地図で確認してもみあたりませんでした。
第6中推定場所:33.918213,130.797021
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北九州市若松区が、”若松市”の時代であったとき6つの中学校があり、現在も現役として使用されている中学校はそのうちの3校であることがわかりました。
廃校となった跡地は、憶測ですが、公園となっている可能性がたかいと考えました。これらの憶測の裏付けとなる情報がないか、史料をしらべてみたいと思います。