かつて、福岡県嘉麻市の「下鴨生駅」から「下山田駅」までを結んでいた漆生(うるしお)線という廃線をめぐってみました。漆生線の廃線跡について参照させていただいたのが、サイト『鉄歩の達人-廃線探索-漆生線』です。
漆生線のだいたいの位置が、福岡県の下図の場所になります。総距離は7.9㎞。10㎞にもとどかないために、体力があれば歩いてでもめぐれる距離です。
開業は1913年、廃止は1986年で、石炭運搬をおもな目的として約73年間運営されていた線です参照。
漆生線の跡がよく残っているわかりやすい場所はどこか、『鉄歩の達人-廃線探索-漆生線』で調べていると、以下の4か所で鉄道跡がみられることがわかりました。北から順番に場所と座標値をならべています。
鴨生駅跡
場所:福岡県嘉麻市鴨生
座標値:33.606726,130.732037
漆生駅跡
場所:福岡県嘉麻市漆生
座標値:33.590734,130.721204
才田駅跡
場所:福岡県嘉麻市漆生
座標値:33.579491,130.728902
コンクリート製橋梁
場所:福岡県嘉麻市牛隈
座標値:33.572710,130.734223
この4か所のなかでも、使われていた当時のものがそのまま残っている場所が、「才田駅跡」と、「コンクリート製橋梁」です。今回の記事ではこの二つの史跡をご紹介します。
才田駅跡の写真がこちらです↓
漆生線が廃止される1986年に役目を終えた駅です。待合所の屋根と、ホームの一部が残されています。駅舎のない無人駅でした。
いまでもホームのすぐ前に、線路がとおっていたとおもわれる跡が轍(わだち)とともに残っています。
廃屋となった民家の前を廃線跡がとおっています。廃線跡は、そのまま車が通る陸橋と立体交差し、南方へとすすんでいます。
線路跡は用水路をわたり、水田の西側を南へとのびます。用水路をわたる橋部分に鉄製の柵がのこっています。線路跡には草木が繁茂し、その跡はとちゅうから消えています。
この陸橋地点から南東へ860mほど線路跡がすすむと、一般道と交差するコンクリート製橋梁が確認できます。
この場所を衛星写真で確認してみます↓。上下に同じ衛星写真をならべていて、下の衛星写真には図を挿入しています。上側の衛星写真をみると、なんとなく森のなかに廃線がはしっている箇所がみえます。それだけだとわかりにくいので、下の写真に線路跡を赤点線で示しています。
図解した下側の衛星写真をみてみると、コンクリート製橋梁が2基ならんでいることがわかります。コンクリート製橋梁②がこちらです↓ 車道から徒歩で東側の農道にはいりこむと、コンクリート製橋梁②がみえてきます。
コンクリート製橋梁②をすぎると、線路跡はふたたび森のなかをはしります。
森のなかを220mほどすすんだあと、線路跡は県道443号線と合流します↓
なんとなく藪のなかに線路があった跡があるようにみえます。このあと線路跡は新しくできた県道となって、その痕跡は確認できなくなっています↓