日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

ふだんの生活を送りながらエベレストをめざした田部井淳子さんは やりたいことを諦めないためにどんな工夫をしてきたか

「下手でもいい」と、ハードルを低くして楽しんできたことが、ここまでつながってきたんだと思います。

『私には山がある』(田部井淳子 著)の中で一番心に残った言葉だ。

 

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①”仕事”と”仕事の勉強”

②家族といっしょにすごす時間を大切にすること

③自分のやりたいこと【山登り・写真→ブログ】

 

3つのことにどう力を配分するのか、僕の場合は試行錯誤の毎日。

 

うまく自分のやりたいことと、仕事とが結びつけられればいいのだけど、不器用でそれがなかなかできない。仕事をしながら仕事の勉強もして、家に帰れば家族といる時間を持ち、かつ自分のやりたいことをやっていく…。

 

これをすべて均等に大事にすることは難しい。時間が足りない。自分なりに工夫はしてみるものの、やりたいことが十分に”できなくて”、フラストレーションがたまっていく。

 

そこで、どうやったら時間をうまく使えばいいのか考える。時間のマネジメントを行なうことを前提として、でもそれがうまくいかないとき、どうするのか試行錯誤の毎日だ。その迷いからぬけだせる方法はないのか。

 

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 登山家の田部井淳子さんは、女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功した。2人のお子さんを育ててきた田部井さんが、毎日の”やるべきこと”に追われる生活を送りながら、どうやって自分のやりたい”登山”を続けていけたのか知りたくて、この本を手にとった。

私には山がある (100年インタビュー)

  

家族や周囲のひとたちに協力してもらう

 ひとりで、どんなに必死にがんばっても、できることは限られてる。仕事をしていて、家族がいれば、一日に自分が自由に使える時間なんてたかが知れてる。

 

仕事と家事・育児をやりながらでも、自分がいっぱいいっぱいになってしまわないようにする。「どうしても○月△日に山に登りたいので、外出をしてもいい?」と、素直に家族にいえるようになったのは、肩の荷が降り少し気持ちが楽になった。

 

田部井さんの場合はバイタリティーが半端ではない。

 

私には山がある (100年インタビュー)

エベレストに登れる!こんなチャンスは滅多にないので、子どもを残して行くということに対し、私の不安はありませんでした。夫も、すべてを承知の上で協力してくれました。 

 

私は結婚していて、次はエベレストを目指すことになってから、夫が「一人で留守番するよりも、子どもを産んでからにして」と望んだため、娘が生まれました。

 

紙おむつなどない時代で、布おむつを300枚ぐらい縫いました。

 

一晩家を空けたりするので、その晩、洗濯しなくてもいいようにと多めにおむつをセットしていく。

 

土曜日から日曜日にかけて山の集まりがある時には、鍋という鍋に、煮ておけるもの、作っておけるものを用意して出かけました。離乳食の期間は、ジャガイモをつぶしておいたり、温めたらすぐに食べられるようなものを鍋に用意してラベルを貼っておいたり、できるだけ夫の手を煩わせずにすむようにと、いろいろ考えました。

 

 

続けること…情熱を持つこと

僕の今やりたいことは、山に登ること。山に登るのが好きなのは、今やっていることが、必ず実を結ぶという快感が得られるからだ。計画を立てて、きつくても一歩一歩足を前にだせば、たとえ遠くてもゴールへは近づいているという感覚が得られる。 そして、次の日へのモチベーションが湧いてくる。

 

頂上に着いた時の「やった!」という喜び。自分の足で一歩一歩登っていかない限り、頂上には辿り着けない。どんなにつらくても、登り始めたらだれも選手交代はできない。そんなことも私にとっては何かすごく心地よかったんですね。

 

 山を登るにしても、写真をとるにしても、ブログを書くにしても、僕の場合、そのどれもが素人の域を超えない。周りのすごい才能をもった人たちのパフォーマンスをみていると、「自分なんて…」と弱気になる。

 

でも「できない!」と投げ出さずに、自分のやれることを、ひとつひとつ毎日毎日続けていく。

 

田部井さんは結婚をする前は、ほぼ毎週、山に登ってトレーニングをしていたそうです。

当時はまだ週休二日制ではなくて、土曜日は半日仕事。午後、登山の用意をして、その日の夜、夜行列車に乗って山に行くというふうでした。

 

そして朝、始発電車に乗って帰ってくるんですが、人がほとんど乗っていないので、つり革につかまって懸垂をやることもありました。人がいない時に、ですけれど。

 

そして大病を患っても、登山に対する情熱を持ち続けた。

がんになって、もう山に登ることはできないかもしれないとは全然思いませんでした。自分が登れる範囲の山を選べば、どこでも行けると思っています。ハードな岩登りや、7000~8000メートル級の高い山に遠征で行くのは難しいですが、登れる山を選んでゆけば、これからも登り続けられると思っています。

 

インタビューなので、語り口調でつづられる文章が読みやすい。本の後半…エベレスト登山が大変なものとはいうが、現場ではどんなことが起きているのか、臨場感のある文章で具体的に語られる。 

 

国東半島の西側を一望できる 豊後高田市の屋山を登る

大分県豊後高田市加礼川にある標高543.3mの屋山(ややま)。以前に尻付山にのぼったとき、遠くに見ることができた山だ。山の東側が切れ落ちていて、大分県中津市にある八面山(はちめんざん)に形が似ている。

あんなに急そうな山に登れるのかなと思っていたら、登れることがわかった。普段足を運んでいる”花のお寺”として有名な長安寺(ちょうあんじ)の境内から登れるのだそうだ。そこで登ることにした。

 

屋山の概要

屋山は国東半島の中央部よりやや西側に位置する。

屋山の東側には”並石ダム”がある。この並石ダムから屋山の北側地域は、険しい岩稜地帯で、奇岩がつらなる。

並石ダム周囲には桜の樹が植えられていて、春にはこの奇岩秀峰と桜が美しく対比する。この景色は特に好きなので、毎年景色を楽しみに行く。

 

屋山山頂へは、標高330mくらいにある”長安寺”から登っていく。長安寺には登山者用の無料駐車スペースがある。往復で約3.2㎞、累積標高(+)は473m。長安寺境内から作業道が1㎞ほど続き、それからは勾配が30°から40°の急登が200mほどある。山頂付近はなだらかな尾根が続くので、肩のちからを抜いて歩くことができる。

ただ、夏の暑い時期は虫がおおくて、歩いているとまとわりついてくるのがうっとおしい。

 

長安寺駐車場から作業道終点まで

無料駐車場に車を停めさせてもらい、長安寺境内方向へ進む。

↓長安寺の境内を進んでいく。

境内を過ぎても舗装道は続く。このあたりの勾配は20°から30°なので、それほどきつくはない。途中地形図に載っていない、分かれ道はあるが、「屋山はこっち」という標識もあるので迷うことはないと思う。

↓途中の分かれ道。

↓おそらくこの分かれ道は溜池の方向へ進む道なのだろう。

地形図では、はじめはゆるやかなの登りで5つのカーブを曲がり、5つ目のカーブをまがると等高線に沿った高低差のほとんどない、なだらかな道になることが予想される。

 

↓これが最後の5つめのカーブ。ここからは、ほとんど高低差はないだろう。

周囲は樹木で覆われ、直射日光を避けさせてくれる。

↓ときどき大きな岩石が姿をみせる。

↓右側(西側)は切り立った崖になっている。

↓地形図でいえば、青丸部分。矢印は進行方向を示す。

↓ところどころに、東側の斜面から落石があるようだ。

↓作業道の終点が見えてきた。

↓写真には撮らなかったが、ここからは並石ダムから流れ出る”都甲川(とごうがわ)”に沿ってできた集落を一望できる。

作業道終点から屋山山頂まで

登山道入口には、屋山山頂には戦国時代に城があったことを説明する看板があった。いまでも城の痕跡が残っているそうなので、それを見つけながら山頂を目指していく。

屋山城の痕跡

・竪堀(たてぼり)

敵が登城するとき、横方向に移動しにくくするためにつくられた堀。これは登山道に沿って彫られているもののようだ。

 

・堀切(ほりきり)

敵が攻めてきたとき、侵入防止のためにつくられた堀で、これは頂上付近の台地状になったところに2つあるようだ。

 

登山口からのぼっていく。

↓落ち葉のつもる斜面を登っていく。

↓すぐに岩場が姿をみせる。

 ↓地図でいえばこのあたり。

↓この岩場はながくは続かず、せいぜい100m程度である。

岩場を過ぎると、最後の急登がはじまる。勾配は30°ほど↓。よくみると写真右側が凹んでいることがわかる。これが屋山城跡のひとつ竪堀だ。

↓上から見下ろしたところの写真。

↓この急登を登ると尾根にでる。ここからはなだらかな尾根が三角点まで続くだろう。すこし気持ちがホッとする。

↓おそらくなにか建物がたっていたのだろう。人工的な斜面が確認できる。

↓尾根を歩いていくと、ひとつめの堀切が姿をみせた。グッと2mほど落ち込んでいる。

↓後ろをふりかえってもう一枚撮る。

↓尾根の中央部は倒木や岩石で通れない。尾根中央部よりやや東側に登山道があるので、ここを歩いていく。

↓後ろを振り返るとこのような感じだ。

↓尾根中央部はこのような感じ。

↓そして屋山山頂の三角点に到着する。

三角点のある場所は樹々がきられて、開けた場所になっている。この場所に城の主郭があったそうだ。今では金毘羅社(こんぴらしゃ)が祀られているが、荒れている。

石灯籠の屋根などは落ち、祠にはなにも祀られていない。

↓さらに尾根を進んでいくと、巨大な石灯籠が姿をあらわす。

↓そのさらに奥にも道は続いている。やや登山道は下りとなっている。

↓今度は屋山城跡の碑と書かれた石碑が立っている。

↓まだ尾根は続く。三角点のあった場所から北北東へ200mほど移動した場所に最終目的地である”ショウケが鼻”が見えてくる。

最終目的地 ショウケが鼻からの展望

 ショウケが鼻を360°ぐるっと見渡すとこのような感じだ↓西側と東側の展望が開けている。

 

↓東側

↓並石ダムと、ダムの向こう側に一畑という集落がみえる。

 ↓並石耶馬…別名 鬼城耶馬(きしろやば)が見通せる。

↓南側

↓北側

↓西側

↓最近登った尻付山もみえる。

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国東半島の尻付山登山 急登をすすむ一本道

国東半島のやや北西部に尻付山(しりつきやま)がある。標高369m付近まで車でいき、登山口から標高587mの頂上まで、わずか218mを登る行程だ。

↓尾根部分を登山口から頂上まで直登するような感じ。細かくいうと、登山道はジグザグ。30°や40°の勾配とかなりの斜度を登っていくかたちとなる。身体に負担をかけないようにペースはあげずに、ゆっくりと登っていった。

車でいける登山道までの行程

 豊後高田市の黒土という地区に、登山口までの道がある。県道654号線を東方向へ進むと尻付山入口の、小さな立て看板がみえる。

山の上に登るほど、車道は落石などで荒れ模様になっている。

登山口手前で倒木があり、車ではこれ以上すすむことはできなかった。

車をおいて歩いて登山口まで移動する。倒木の先も、さらに落石がひどく、倒木がなくてもこれ以上車で進むことはできなかった。

右手方向(南南東)をみると、屋山がみえる。大分県中津市にある八面山(はちめんざん)と形が似ているので、この屋山も別名 八面山と呼ばれる。

 

道路南側は切り立っている。

反対に北側はかなりの斜度の山がそびえる。ここから、ひょんなときに石が落ちてくるのだろう。

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登山口から山頂まで

 

登山口直後からなかりの急登となる。登山道に落ち葉がふりつもり、すべりやすい。足がすべり斜面をずり落ちていかないよう慎重に歩を進める。

登山道入り口付近からジグザグの道になっているけど、踏み跡がみつけにくく、一度は登山道を見失う。地図を確認しながら、道が誤っていることに気づく。

 

元の道にもどり、また正しい登山道を探す。ジグザグのカーブに気づかず、そのまま直進したことが誤認の原因だった。登山者があまりいないようで、踏み跡が見つけにくいことも原因のひとつ。

登山道がみにくいことがわかったので、慎重に道を確認しながら登っていく。ところどころに標識や木階段がみえる↓

急登が続く。

休憩をとりながら、登っていくと傾斜がゆるくなり、木々がとぎれてくる。頂上だ。

山頂の景色

山頂は木が刈られ、ちょっとした広場になっている。だけど眺望は開けていなくて、下界の景色はみられない。ずいぶん昔に設置されたと思われる椅子やテーブル、ポストなどがある。

587.4mの標識。

↓避難小屋らしいものもある。屋根はなく朽ちている。

↓山頂から北東方向に、広場のようなものがみえる。なにかありそうだ。

地図でいえば↓赤の丸網掛けで示したところ。

↓広場にはなにもないが、きれいに草が刈られ何かがあったような感じ。

↓広場すぐ横には岩でできた丘があり、弘法大師と思われる仏像様が祀られている。

↓ロウソクを立てるための燭台や陶器の皿が残されている。なにか特別な場所のようだ。

尻付山山頂から、この弘法大師らしき仏像様が祀られている場所をすぎ、さらに東方向へ道が続いている。尾根に沿って樹も刈られている。

この道が隣のハジカミ山につづく登山道と思われる。今回は尻付山登頂だけで疲れてたし、他の人もいなくて心細かったので、こちらにはいかなかった。

最後にぐるっと一周山頂を見渡してみる↓山頂から西を見る。

山頂から北側を見る↓

山頂から西を見る↓

山頂から南を見る↓

樹々が生い茂っていて景色は楽しめない。

 

下山を含めた往復の移動距離は1.4㎞と短かったものの、尻付山自体がかなりの勾配となっているので、なかなかきつかった。カシミール3DのGPS登山記録では俯角54.7°となっている。

 

地形図とコンパスの使い方を教えてくれるおススメ本

地形図を読む方法の基本的な部分を、わかりやすく解説してくれているのが、雑誌『山と渓谷』(2016年9月号)。

実践に役立つ 地形図の読み方を丁寧に解説してくれている本 「山岳読図大全」村越真

2015年、警察庁が発表している山岳遭難者数は3043人。その原因は以下のようになっている。

第1位:道迷い(39.5%)

第2位:滑落(16.5%)

第3位:転倒(15.3%)

 

警察庁の「平成27年における山岳遭難の概況」では、道にまよわないためには地図読み慣れておくことと、小まめに地図とコンパスで自分の位置をモニタリングすることが大切と説く。地図やコンパスを山の上に持っていってるかたはたくさんいるが、実際にそれを使うかたは、グッと少なくなるのだそうだ。

 

本書では、遭難の事例を挙げ、その原因を地形図を用いて丁寧に説明してくれることからはじまる。実際に霧に包まれた山中や、雪原で「あれっ、ここどこだっけ?」と恐怖を覚えた僕には、深く心にしみる事例もある。

 

この本は、地形図の見かたがよくわかる本。実践的で、ここまで細かく、そしてわかりやすく解説してくれている本はなかなかないと思う。

 

例えば、山歩きでよく利用する「徒歩道」が地形図上で示されているとする。

実際には↓こんな道なのか?

それとも↓こんな道なのか?

はたまた↓こんな道なのか?

どの道が「徒歩道」として表示されるのか?「徒歩道」は一般的には幅員が1.5m未満の道路とされている。だけど実物は確実に「これ!」という絶対確実なものはないようだ。例に示した写真3枚では、一番下の写真以外ふたつは、徒歩道として表示されている。一番下写真の道は、実線で描かれた「軽車道」となっている。

 

どうして一番上のいかにも車道っぽい道が「徒歩道」で、一番下のいかにも人しか通らないような小道が「軽車道」となるのか?同じ記号で描かれていても、このようにいろんなケースがあることを『山岳読図大全』では伝えてくれる。

 

この本は大きく分けて、こんな構成になっている

  • なぜ道に迷うのか(遭難事例と原因)
  • ナヴィゲーション用具
  • ナヴィゲーションの基本
  • 現在地を把握する
  • ルート維持とルートファインディング(コンパスと地形図の使い方と地形の読み取り方)
  • プランニングによるリスク管理

 

特に僕がビビッときたのは、”ルート維持とルートファインディング”の項目。迷いが起きやすい道の実例を示し、道迷いをどうやって防ぐかの具体的方法が書かれている。

 

実践を重ねることが一番の練習方法だけど、独学では足りていない知識を補ってくれる頼りになる本だと思った。 

 

久住連山登山 視界の悪い日でも山中で地形図とコンパスを使いこなせるか? 中岳-稲星山-久住山を登ってみた(後編)

久住連山の登山で、牧ノ戸峠から出発し、中岳-稲星山-久住山をまわった。↓これが前編で今回は後編となる。前編は牧ノ戸峠から”久住分れ”という場所までを記した。

 

ooitasyuyu.hatenablog.com

後編は中岳の手前にある空池(からいけ)-御池(みいけ)を経由するところから↓

早朝は視界が悪くても日が昇ると霧が晴れることがたびたびある 

久住山に登頂するまでは、周囲は雲に覆われ視界は悪かった。ときどき雨がぱらつくこともあった。今回の登山は下山するまで、景色は拝めないな…と思っていた。久住山に登頂してから、徐々に霧がはれ視界が開けてきた。

久住連山の登山では、早朝は視界がわるくても、朝日が昇り、だんだん暖かくなってくる9時から10時くらいから、急に霧がはれてくることを何度か経験した。今回もそんな感じだった。

↓霧がはれ始める久住山山頂

稲星山から久住山までの道のりは、初めていく道。霧のなかで、地図とコンパスを頼りに目的地をみさだめていく良い練習になった登山だった。

 

”久住分れ”から中岳まで

中岳までは約1㎞。このあたりだと”天狗ヶ城”がみえてくるはずだけど、霧に隠れている。でもこのあたりは登山道がしっかり認識できるので、迷う心配はない。

天狗ヶ城手前の登りにさしかかると、ときどきサーっと霧がはれることがあった。

↓そんなとき天狗ヶ城のシルエットがみえた。なんだか神々しい。

 

ふたつの「池」 空池~karaike~と御池~miike~

↓そして火口跡の空池(からいけ)も、ときどき見えることがあった。空池の底は1652m。登山道からは30mほどグワッと落ちこんでいる。ここの景色も雄大だ。

↓空池を過ぎると、すぐに御池(みいけ)が見え始める。久住連山のなかには、大船山(たいせんざん)と呼ばれる標高1786mの山がある。この大船山ちかくには、同じ「御池」と書いて”おいけ”と呼ぶ池がある。同じ「御池」と書いて、”みいけ”と”おいけ”。ややこしい。

↑この場所からは御池のほとりを行くコースと、25mほど北側の岩場を登って、池を迂回するコースがある。

↓今回は御池のほとりにある登山道を行く。

この御池も火口跡らしい。空池には雨水が溜まらず、御池には溜まっている。同じ”池”の名を持っていて、隣り合っている同じような形状の窪みなのに、こんな違いがでてくるのが不思議。

御池から中岳に向かう途中 ルート外れに注意

このあたり↓に来たとき、霧で視界は悪く、一時的にどちらへ進んだらいいのかわからなくなった。晴れていて視界がひらけているときは、なんでもない場所なのだが、視界の悪いとき、このあたりはいくつかの分岐があるために方向感覚がなくなってしまうのだ。

↓そのときの実際の写真がこちら。現在地はだいたいわかっているので、東を進行方向にすればいい。コンパスを取り出し、東を確認する。踏み跡を外れないよう注意する。

 

↓幸い中岳山頂直前で、また霧が一時的にはれた。天狗ヶ城までの稜線がみれた。

 

中岳から見える地形

中岳の北側には3つほど1730mから1750mほどのピークがある↓

↓その3つのピークと、その周囲に荒地がみえる。向こう側の雲に隠れている山が三俣山(みまたやま)。

中岳、さいごの急登を登り、山頂へ。

視界は開けていない。

晴れていれば、こんな絶景がみえる↓。

中岳から南西方向をみたものだ。右手に御池。正面に久住山がみえる。

中岳から稲星山へ 急な下りとゆるやかな上り

 中岳山頂で水分と栄養補給をして、今度は稲星山へ向かう。地形図を確認すると、くだり→鞍部→なだらかな登り…となっている。ほぼ南へ直進していけば稲星山山頂に着きそうだ。

鞍部へくだる道はなかなか険しい。

おりる途中で鞍部の一部がみえた。右奥に雲で隠れているのが稲星山だ。

 

稲星山の登りは緩やかな砂利道

鞍部から稲星山へなだらかな登りが続く。

 

中岳のゴツゴツとした岩とは違い、小さな石や砂利が稲星山には多い。そんな砂利のなかに踏み跡がジグザグに確認できる。

↓霧が一瞬はれたとき、後ろをふりかえる。写真左(東)から右(西)に向かって強い風が吹き抜けている。気温は15℃くらいだが、霧と強い風で寒いくらい。体を動かさないと、みるみる冷えていくのがわかる。気温が低い時期だと、さらに体力がうばわれ遭難の原因になるんだろう。天気の悪い山上はこういうのが恐い。

稲星山山頂へ到着。他に登山者はいなくて心細い。周囲は細かい石の地面だが、山頂付近にだけ、いかにも溶岩という感じの岩がたっている。

↓山頂から、これから行く久住山があるだろう方向をみる。霧でほとんど何もみえない。はじめていくルートでこれは不安だ。

 

稲星山から久住山へのルートで、地図とコンパスが役立った

天気のいい日は見通しのいい場所なのだろうが、地図・コンパスがなければ踏み跡をたどる手ぐりの登山となる。これだと心もとないので、コンパスで目的地の方向を定める。

 

コンパスと地形図の使い方はネットでもたくさんの情報があるので、これを参考にした。山中でやってみると「あれっこの場合どうするんだっけ?」と混乱するので、やっぱり事前に何回か安全な場所で練習してみたのがよかった。実際の場にたつと落ち着いて判断ができる。

コンパスの長軸を、地図上の「現在地-目的地を結ぶ直線」と平行にする

磁北線カプセルの矢印が平行になるようコンパスの回転リングを回す

 

この手順を踏むことで、コンパスの矢印が目的地を示してくれているので、ひとまず安心。↓コンパスの矢印が指し示す方向が、目指す久住山山頂。

 進行方向だけではなく、現在地も確認していきたい。そのためには実際の地形と地形図の方向を一致させる必要がある。コンパスの磁針と、地形図にあらかじめ引いておいた磁北線を平行にする。これでできた。

 まわりの地形をみて、地形図をみて、そして現在地を確認していくようにする。迷わないよう慎重に進んでいく。

 

稲星山から久住山までの地形は↓こんな感じになっていると予想される。やや急なくだりを降りきると、右手にたぶん草原がひろがり、左手には谷がみえるはず。それからまもなく、やや急な登りとなる。稜線にでると220mほどで久住山の山頂に着くはず。全行程は1㎞弱。

 

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↓まずは下り。

↓谷間がみえてきた。南側の谷から吹き上げてくる風がものすごい。霧がすごいスピードで吹きあがってくるのがみえる。

 ↓そして右側(北側)に広がる草原。

↓鞍部へと着く。今度は登り返しとなる。予想通りの行程なので安心できた。

久住山は岩場が多くなる

↓やや急な登りにとりかかる。

↓稜線へと着いた。ここまでくるとポピュラーな登山道との合流地点まで近いので、なんだかホッとする。他の登山者にも会えるだろう。

天気が悪くても、だいたい久住山には登山をされているかたがいる。

↓一番ポピュラーな登山道と合流した。ここから黄色いマーキングに変わった。

 

久住山 岩の稜線

↓岩尾根を進む。もうすぐ山頂だ。

↓岩にピンク色の部分が目立つ。

↓久住山山頂に到着。周囲はガスっていて真っ白。リュックをおろし、もってきた柿ピーをほおばりながら水分補給をする。今日はこのまま、何もみえないまま下山することになるだろうと、諦めていたが…

下山しようと思ったら天候が回復

徐々に雲が切れはじめた。

↓はるかかなたに祖母山(そぼさん)もみえはじめた。

久住山山頂から祖母山山頂までは、南南東へ約30㎞の距離。意外に近いことにびっくりした。祖母山は宮崎県と大分県の県境にあり、ふたつの県をまたいでいる。だから久住山からは100㎞くらい離れていると勝手に思っていた。

気持ちがいいくらいに雲が散っていった。今までみえなかった雄大な景色が現れてきた。

 

↓避難小屋と星生山。

空池と天狗ヶ城↓

避難小屋、星生山、硫黄山↓

久住分れからみる硫黄山と三俣山↓

最後に

地形図と実際の地形を交互にみながらの登山は、現在地の確認とか、目的地までの所要時間とか、傾斜の度合いとか…とても実用的。でもそれ以上に、今回は歩いてはないけど、地図上に他のルートがみえると「次はこのルートにも挑戦してみよう」とか「あっ、この地形は実際どんな形になってるんだろ」なんて楽しい想像もできる。

 

今回は、ゆっくりじっくりの楽しい地図読み登山だった。

 

 

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久住連山登山 視界の悪い日でも山中で地形図とコンパスを使いこなせるか? 中岳-稲星山-久住山を登ってみた(前編)

地形図をもって九州にある百名山の久住連山を歩いてみた。今回は、まず九州本土の最高峰である”中岳”を目指し、そして”稲星山(いなぼしやま))”を経由し、主峰の”久住山(くじゅうさん)”を周るコース。

往復で全行程は11.3㎞の距離。累積標高(+)は1288m。久住連山を登るときに、一番ポピュラーな登山口である”牧ノ戸峠”からの出発。早朝は天気が悪く、視界はほとんどなかった。

ときどきサーっとガスがはれることはあったが、ほとんどの行程で真っ白の世界だった。

中岳→稲星山→久住山と登頂し、さあ下山しようという頃にやっとガスが晴れてきた。だから、下山中に撮った見通しのいい写真を織り交ぜながら、行程の紹介をしてみる。

 

久住連山はたくさんのかたが登ってて、踏み跡も目印もたくさんあり、見通しもいいので、山中で迷うことはほとんどない。だけどこんな感じで霧がでてたり、雪が積もってて登山道がわかりにくくなっているときは注意が必要。

中岳から、稲星山を経由して久住山への行程は、ぼくにとって今回が初めて。天気は悪く視界も悪かったけど、逆にそれが地図とコンパスを使う練習となって、いい経験になった。

 

”牧ノ戸峠登山口”から”扇ヶ鼻分岐”までの地形

 牧ノ戸峠から出発すると、登山口付近がけっこうな勾配。だいたい20%から30%の勾配が1㎞弱続く。雪が積もるとつるつると滑り、山の上よりも、この登山口のほうがアイゼンが必要で意外に危険な場所。

 1㎞の急登をのぼりきると、430mほどの岩場がつづく。ここからは天気が回復した帰路の写真を載せていく。

尾根になっていて、この岩場からはこれから行くルートが一望できる。眺めがいい。

 鞍部からのなだらかな登り

岩場からは↑こんな感じで下り、鞍部にいたる。鞍部からは、なだらかな登りが”扇ヶ鼻分岐”というところまで1.5㎞ほど続く。

平和な登りで、足元は踏み固められ、ペースをあげなければ楽な行程。天気がよければまるでピクニック気分。

 

扇ヶ鼻分岐付近

扇ヶ鼻方向を眺めると↓針葉樹と広葉樹に覆われた傾斜をみることができる。

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逆に星生山(ほっしょうざん)方向をみると、扇ヶ鼻よりも急な斜面になっていることがわかる。登山道から東方向は、すぐに落ち込んで谷になっている。

扇ヶ鼻分岐から久住分れまでの地形

↓扇ヶ鼻分岐。写真の正面に見える小高い丘が、標高1698mの扇ヶ鼻。

 

 

 

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星生山ふもとの”おう地”に足を運んでみた

道中、地形図を見ながら歩いていると、”星生山(ほっしょうざん)”のふもとにちょっとした窪みがあることがわかった。地図でこんな↓記号をみると、ちょっと行ってみたくなる。だから立ち寄ってみた。

実際の”おう地”の写真がこれ↓。なんだか池のようにみえるけど、水が溜まっているような感じはない。不自然に窪んでいるけど、もしかしたらずっと昔の火口跡なのかなとも思った。

そしてまた、反対の西側もみると、こんな感じで窪地になっている。さきほどの”えん地”も、この窪地もやっぱりなんだか火口跡のようにみえる。

水が溜まり、湿原のようになっている。久住山への登山道をとおるたびに、ここの景色には心ひかれる。

 

西千里浜

さて、ここは西千里浜と呼ばれる場所。

地形図をみてもほとんど高低差はみられない。↓こんな道が星生山分岐部から500mほど続く。

 

進行方向にむかって右側(南側)は小高い山になっている↓。この西千里浜は雪が積もると、登山道がほとんどわからなくなるので注意が必要。いつのまにか登山ルートから外れていた…ということもある。

↓雪が積もるとこんな感じになるのだ。

久住山の全容がみられる避難小屋付近

西千里浜を抜け、岩稜帯を過ぎると、主峰である久住山の全容が見えてくる。

↓写真左側に避難小屋が見え、右側に久住山が見える。今回は直接久住山へ上るのではなく、左奥にあると思われる中岳をまずは目指す。

 

 ↓避難小屋付近から星生山方面をふりかえると、こんなゴツゴツの山肌がみえる。

 

避難小屋前から南側を眺めると、深く切れ落ちた谷となっている。

 この谷の向こう側には、もっとスッキリ見通しがよければ阿蘇山がみえるはずだ。

久住分れ

これは”久住分れ”からの眺望。

↑この”久住分れ”から左側の”硫黄山”、中央部の”北千里浜”、中央上の”三俣山”が見える。

久住連山を登るときは、いつもこの景色が楽しみ。この景色が見られると「久住山に登ってるんだな」と実感できる。硫黄山のゴツゴツ感と三俣山(みまたやま)のなだらかな山容が対照的で見ごたえがある。

硫黄山と三俣山のふもとには北千里浜が広がっている。北千里浜は実際歩くことはできるが、風の具合によっては硫黄山からの有毒ガスが流れ込むために、注意が必要らしい。

↓久住分れから避難小屋、星生山方面をみる。

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…と、ここまでは下山途中に撮った写真を載せてきた。登るときは、すべてが雲の中だった。↓この写真がそのときのもの。雨こそは降っていなかったが、強風が吹き視界が悪く、不安感がつのる登りだった。

ここからは九州本土最高峰の中岳へ向かう。長くなりそうなので、ここまでを前編とする。

 

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Amazon【山と溪谷 2016年9月号 特集 読むセンスを磨くたのしい読図】

地形図とコンパスを持って登山 両子山(ふたごさん)の山頂まで地形を読みながら行ってみた

国東半島のほぼ中央に位置する山。両子山(ふたごさん)。天気はわるく、山頂は雲におおわれていたけど、登ってきた。標高は720mで、両子寺(ふたごじ)境内から山頂につづく舗装道に沿って登るので、登山には簡単なコース。

今回は、スマホとかの機器に頼らないで登山するのが目的。一応、スマホのGPS機能で現在地をモニタリングしながら登ってみたけど、あくまでも確認のため。地形図をしっかり読んで、自分がどこを今登ってるのか?、目的地の方向はどの方向か?これから進む道はどんな地形になっているのかを把握するための練習登山。

 

地形図をつかって、これから登る山の地形を見た。まったくの地図読み初心者なので、教科書どおりにやってみた。

  1. 登山道周辺のピークに赤丸をつける
  2. 各ピークからのびる尾根に赤線をひく
  3. 谷になっているところに青線をひく
  4. 登山道周囲の地形の特徴をわかる範囲で書き込む

1~4の手順でやった地形図が下の地図↓

今回の登山道は一本道だからまようことはない。だけど登山道が複数にわかれていたり、あまり使われてない登山道だったら迷う原因になるらしい。だから予定登山ルート周囲の特徴を地図に書きこんで、実際登っているときの周りの景色・地形から、自分がどのあたりにいるのかを把握しやすいようにする。

 

・登り始めは広葉樹林のなかのゆるやかな登り

・徐々に広葉樹から針葉樹の森になる

・登山道左側には谷がある

・途中から急登がはじまる

・標高が高くなって尾根に近づくと、つづら折りの道になる

・尾根になると山頂まではゆるやかな上り坂となる

 

両子山の登山では、おおまかにいうとこんな感じの行程になる予定。実際はどうなのか、登ってみた。

 

↓両子寺境内から出発。

 

↓広い境内をぬけ針葉樹の森へ。あれ?広葉樹じゃない。

↓途中から広葉樹になった。

地図でいえば、↓下図の青丸あたり。東側に512mの比較的高いピークがあるらしいけど、見通しがきかないので確認はできない。しばらくはゆるやかな登りが続くと思う。

↓そして予定どおり針葉樹の森があらわれる。

↓下図の緑丸あたり。

東側は落ち込んでいて、たしかに地図どおり谷になっている。

↓そして西側はなだらかな登りになっていて、針葉樹の森が広がる。

登山道途中には”鹿のツメ石”というスポットがある。

親子鹿の爪跡という伝承。

そして出てきた急登↓

↓地図の青四角あたり。これから、つづら折りの急坂が続く予定。尾根道までは300mほどの行程。あと少し。

↓これが実際のつづら折りの登山道。

この道がなければ、かなりの斜度。計算すると45.2%の勾配だった。もし舗装道がなければ、この勾配だったら登りにくいでしょうね。両子山は固い火山岩の基盤があるとはいえ、やわらかい土が堆積している。ズルズルすべって、登っても登ってももどされるかもしれない。

↓そしてやっと尾根にたどりついた。

ここから山頂まではゆるやかな坂となる。まさに尾根っぽくて、両側はざっくり斜めに落ちている。

 ↓地図では緑四角あたり。

 山頂は展望がひらけているようで、淡い光が登山道に差し込んできている。霧に光が反射して幻想的な雰囲気がただよう。

↓そして、両子山山頂。まったく景色はみえない。風が強い。そして冷たい。でも急登でほてった体に冷たい風が気持ちいい。

↓山頂の一等三角点。

↓山頂にはひとつ電波塔が描かれている。三角点からさらに南へゆるやかに下ったところに、その電波塔があるようだ。

↓南へゆるやかに下る。

↓写真奥の塔が、地図の示す電波塔のようだ。山頂にはこの塔をあわせて3つの塔が立っていた。

 これら電波塔のさらに南側に”町境尾根コース”という登山コースがあるらしい。

山頂で小休憩をとって、来た道を引き返す形で下山した。

 

↓両子山の実際の行程がこんな感じ。片道1.7㎞ほど。

累積標高(+)…つまり登った合計m数は838m。数か月、山に登ってないのでゼーゼーいいながらの登山だった。

 

紙の地図をみながら、今このあたりかな?と予想して、スマホのGPSで答え合わせをしてみた。だけど大きく現在地を外すこともあった。それに目的地の方向を大きく誤ることもあった。

 

実際、山中で地図・コンパスを使ってみると、「あれ…”整置”ってどうやるんだったっけ」と、すごく単純な地図読みができなかったりする。実地練習を重ねて慣れていくしかない。

 

※整置…地形図の向きと目の前の景色を一致させる作業。コンパスを地図の上に置いて、コンパスの磁針と磁北線が一致するよう地図を回転させるだけ。