日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

珍しい「トリ庚申塔」を探しに行ってみた 飯塚市 弥栄神社(やさかじんじゃ)

福岡県飯塚市にある弥栄神社(やさかじんじゃ)に、珍しい庚申塔があるという情報得て、行ってみることにしました。珍しい…というのは、「鳥取庚申」という文字が刻まれているという点。通常、庚申塔は庚申尊天とか、庚申天とか、庚申塔とかの文字が刻まれています。

 

どうして、鳥取なのか?その疑問も持って、弥栄神社へ。

場所:福岡県飯塚市横田

地図:Google マップ

弥栄神社の鳥居前に、車一台分ほどの駐車スペースがあったので、一時的に停めさせてもらいました。

境内にあがると、拝殿右奥のほうに石塔群が祀られているのが見えてきます。

一部、壊れてはいますが、4基の石塔がみられます。

↓その一番右側に、目的の庚申塔がありました。

↓模式図にすると、以下のようになります。

模式図は、こちらの書籍↓(p47)を参考にさせてもらい、作ってみました。

 

 「日向」とか「鳥取」とか、福岡県には、一見関係のないような地名が刻まれてます。その刻まれた理由は、はっきりとしたことはわかっていないそうです。

 

鳥という文字は、どうして刻まれたのか?

遠賀川―流域の文化誌」のなかで、トリのつく庚申塔の設立理由について関連情報が載せられてます。

設立理由のポイントを、まとめてみると、以下のようになります。

 

・猟で獲った鳥の供養

・鳥は、庚申の神さまである青面金剛の使者

・収穫のトリイレの意味で、豊作祈願

・満願成就のしるしとしての「とりあげ庚申」を「トリ庚申」とした

 

いずれにしても、鳥のつく庚申塔の設立理由は、いまだにはっきりとしていません。

 

日向国という文字は、なぜ刻まれたのか?

もうひとつ、庚申塔の上部分に刻まれている「日向国」という文字。日向国(ひゅうがのくに)は、今でいう宮崎県あたりのこと。

 

日向国については、「遠賀川―流域の文化誌」の著者である香月氏が、刻まれた理由を考察している。これもポイントをまとめると、以下のようになる。

 

・幕末期に宮崎へ旅をした者が、飯塚にいたのでは?

・調べてみると、鞍手郡鶴田村に、宮崎の生目(いきめ)八幡宮への参拝者がいた

・生目神社の祭神に平景清(たいらのかげきよ)がいる

・景清は眼病に効能がある神である

夜盲症の鳥目との語呂合わせから「トリ庚申」塔が立てられた

遠賀川流域にも各地に小祠が勧請された

 

 

断定はできないが、眼病治癒の願いがこめられた庚申塔なのかも…というのが、香月氏の考察です。

 

その他の庚申塔

トリ庚申塔の他にも、通常の形体の庚申塔が祀られていました。以下↓ざざっと、ご紹介します。文字は判別しにくいが、猿田彦大神と刻まれていると考えられます。

↓庚申神社と刻まれた石塔

↓そして、謹請猿田彦大神と刻まれた、大道の庚申塔

北九州市内に、どうして国境石? 国境石を探してみた

北九州市に「国境石(こっきょうせき)」と呼ばれる石塔があるという情報を得て、この国境石の実物を見てみたくて、探しに行ってみました。こちら↓が、元となった情報(西日本新聞 2017年03月10日

 

今では、同じ北九州市という地区に、どうして国境を示す石があるのか?今回、見つけることができた国境石は三つ。

 

1.金比羅池の国境石(北九州市小倉北区

2.三条の国境石(北九州市八幡東区

3.高見三丁目の国境石北九州市八幡東区

 

金比羅池の国境石

 

国境石って、どの国と、どの国を分けてた?

西日本新聞の記事によると、「街の真ん中に昔の国境が走っているのは、北九州市が5市合併で誕生したため。全国的にも珍しいと思いますよ」とある。

 

昔は、どんなふうに北九州市は分かれていたのか?その史料がネット上にアップされていないか、調べてみました。

 

北九州市 5市合併」というキーワードで調べてみると、目ぼしい記事が見つかりました。北九州の旧五市

 

その記事によると、①門司、②小倉、③戸畑、④八幡、⑤若松の旧5市が、合併してできた世界的にも珍しい都市が、北九州市なんだそうです。

 

合併する流れとなったのは、戦後になってからのようです。文章だけでは、なかなかややこしいので、合併の流れを図にまとめてみました。

 

昔、北九州市は、大きく豊前国筑前国のふたつに分かれていたんですね。このふたつの国の境目は、今でいう戸畑区小倉北区の間を通る境川を通って、八幡東区に入っていってたといいます。だいたいの国境が、西日本新聞の記事に図示されていました。

国境石は、福岡藩小倉藩とが、国境にたくさん作ってきたのですが、いま残っているのは、13基だけ福岡藩小倉藩との国境は昔、多くの争いが起きていたそう。

 

そのエピソードが、新聞記事にも記されています。

 

「国境石が多く残っている場所は境界争いが激しかったところのようです」。豊前の旧小倉市で育った金丸さんも、境川を挟んだ筑前の旧戸畑市の子どもと石を投げ合ってけんかをしていたという。「大人同士が仲が悪かったので、子どももいがみ合っていた。戸畑側に足を踏み入れるのも怖かった」と振り返る。西日本新聞 2017年03月10日

 

国境石の場所

 

1.金比羅池の国境石(北九州市小倉北区) 

 この国境石は、金比羅池(こんぴらいけ)の中に、1817年、福岡藩によって立てられました。

 

 

地図:Google Maps

 

何か、石に刻まれてますが、案内の看板によると…

 

「従是西筑前国」…これよりにしちくぜんのくに

遠賀郡中原村抱」…おんがぐんながばるむらかかえ

「文化十四年丁丑三月 再建之」…ぶんかじゅうよねんひとのうしさんがつ これをさいけんす

 

…と刻まれてるそう。

 

 2.三条の国境石(北九州市八幡東区

三条の国境石は、閑静な住宅街にありました。この国境石は、福岡藩が立てたもので、県内では最大級。

 

金比羅池のものと同じように「従是西筑前国」…これよりにしちくぜんのくに…と刻まれてます。

 

地図:Google Maps

 

 

3.高見三丁目の国境石(北九州市八幡東区

高見三丁目の国境石もまた、前二基と同様に、福岡藩が立てており、「従是西筑前国」…これよりにしちくぜんのくに…と刻まれる。

 

けっこうな斜面の、これまた、閑静な住宅街にありました。

 

地図:Google Maps

 

 

今、残っている北九州市の国境石は13基。あと10基はどこにあるんだろう?見つけるのは大変そうだけど、残りのものを見つけるのも、また楽しそう。

現人神社(あらひとじんじゃ)の庚申塔 福岡県 香春町

場所:福岡県田川郡香春町大字採銅所

地図:Google マップ

 

↓拝殿

↓拝殿にむかって右奥に、ひっそりと小さな庚申塔が祀られていた。

↓「庚申尊天」と刻まれているのはわかるが、その上になにか模様が描かれている。それは判別できず。

庚申塔に向かって、左側面。十二月十九日と刻まれているのがわかる。

庚申塔に向かって右側面。こちらは文字は判別できず。

↓現人神社前の景色

↓神社で出会った猫

珍しい庚申塔 七鬼神庚申塔を探してみた 直方市植木

福岡県直方市にある植木という町。ここには、日本全国でも珍しい庚申塔(こうしんとう)があります。 

それは、「七鬼神」という文字が刻まれた庚申塔。植木の町なかには、合計で4基、この「七鬼神庚申塔が祀られているそうです。

 

それにしても、この「七鬼神」というのは、何なの?そもそも七鬼神庚申塔なの?そんな謎の多い七鬼神については、こちらの書籍に詳しく書かれています。

 

七鬼神庚申塔であるという根拠については…

 

・植木では元日に庚申詣りをする

・鞍手地方では正月日を庚申の誕生日とし初庚申をする

・庚申さんは人のお伴をつれている

・ 庚申さんに供養すると倍にして返してくれる

・一年のうち庚申の日が七回ある庚申の年はよいことがある

 

…という云われが伝わってて、庚申は数字の七に関係が深いようですね。

 

また、鬼神については…災いをもたらす神は、敬うことによって幸福をもたらす…という御霊信仰(ごりょうしんこう)というのがあって、この御霊信仰から「鬼神」も敬えば、福をもたらしてくれる、と考えられつけられたそうです。

 

植木の七鬼神庚申塔 場所

そんな、直方市植木町にある七鬼神庚申塔を、三基見つけたので、アップしてみたいと思います。まずザザっと挙げてみると…

1.日吉神社庚申塔

2.県道98号線沿いの庚申塔

3.植木交差点近くの庚申塔

 

ひとつひとつ場所をご紹介します。

 

1.日吉神社庚申塔

日吉神社庚申塔は、神社参道脇に祀られてました。階段を登っていく途中、右側に三つ石塔・祠があり、その一番左側。

文字部分が削れ、見えにくかったのですが、たしかに七鬼神と刻まれていました。

地図:Google マップ

 

 

2.県道98号線沿いの庚申塔

県道98号線沿いの庚申塔は、詳しい場所がわからなかったので、一番見つけにくかった。車で、町なかをぐるぐるまわってて、たまたま見つけられました。ちょうどT字路になっている場所に祀られてました。

地図:Google マップ

 

付近には車を停められる場所がなかったので、空也上人木像が祀られているお堂の脇スペースを、ちょっと借りました。

地図:Google マップ

 

ほんとに、住宅街のなかにポンと現れた感じです。周りは比較的新しい家屋が並んでいるのに、この場所に昔ながらの信仰が残されているのは、なんだか不思議な感じがしました。

こちらも、日吉神社庚申塔と同じ自然石を利用したものでした。それにしても、庚申塔は細長く、三日月型の形体をしているものが多いように感じます。

 

3.植木交差点近くの庚申塔

七鬼神庚申塔に興味をもったきっかけの庚申塔です。

植木の交差点で、信号待ちをしていると、この石塔を見つけました。比較的、最近つくられたような新しい石塔に「七鬼神」。なんだろう?と興味を持ったのです。

遠賀川の堰の上に祀られてて、おそらく植木の町を、水害から守ってきた庚申塔なんでしょう。

 

地図:Google マップ

 

庚申塔の世界は、まだまだ知らないことがたくさんです。地道に調べていきたいと思います。

北九州市若松区の山城 花房城跡へ行ってみた

福岡県北九州市若松区には、東西に5㎞くらい連なる低山群があります。東側から名前を挙げていくと、高塔山-石峰山-岩尾山-弥勒山-白山

 

その中の、岩尾山(221m)には、昔、お城があったとのこと。花房城(はなふさじょう)と呼ばれる、麻生(あそう)家の城だったといわれています。

一見すると、何の変哲もない、ただの山。お城があったとは思えない。

山の上に無線中継所の大きな鉄塔がたっていますが、そのすぐ隣。山がポッコリとなっている場所に、花房城があったといわれています。↑上の写真だと赤丸でかこんだ場所ですね。

 

この場所に「行きたい、行きたい」と以前から思っていたのですが、仕事の休みの2017年5月20日(土)に、花房城跡を目指すことにしました。

 

地形図を見ると、おそらく近くまで車でいけそうな雰囲気です。

ですが、近くまで行くと…「これより関係者以外 立ち入り禁止」の看板が。

んー、一見、NTTの関係者以外は立ち入り禁止のようにみえるけど、手書きで個人で書いているような看板です。先には立派な舗装道が延びてます。私有地のようには見えないけど、もし所有されている方に会ったら、花房城跡に行きたい旨を伝えよう…。進むことにしました。

曲がりくねった舗装道を抜け、

竹林を抜け、

さらに舗装道から砂利道に変わり、この砂利道を抜けていきます。

途中で、この土地の所有者らしきかたが作ったと思われる、畑が見られました。

一度、ピークを過ぎ、若干下りに入ると、なにか鳥居…いや、看板らしきものが見えてきました。

やっぱり看板。花房城跡について書かれてます。文字部分は、無残にも地面に落下してました。

この案内看板によると、昔は城跡があった辺りは、「山鹿荘西郷」と言ったそうだ。東西30m 南北60m 高さ6mほどの長方形台地の城郭と空堀があるとのこと。

 

看板のすぐ脇に、登りの階段があるので、ここを登る。

おお、ここが、花房城があったといわれる台地なんですね。いまでは一見、何にも残っていません。

ぐるっと一周まわって、写真を撮っても、雑草が生い茂るちょっとした広場という感じでした。城が建っていた当時は、このような樹々もなく、展望がきいたんでしょう。想像していたよりも、狭い土地に城は建っていました。

案内看板には、「山の斜面には竪堀が残っていて、中世の山城の原型をとどめている」とあるけど、雑草繁茂により確認はできません。同じく、案内看板には、この城についての伝説が記載されていました。それを抜粋します。

 

その昔、戦いに敗れた花房城の美しい姫は城から脱出し、山麓の狩屋まで逃げた。しかし、隠れるところもなく大きな桶に身を潜めていたが、その着物の裾模様が敵の雑兵に発見され、哀れにもその場で殺されてしまった。

 

その後、これまでに見たこともない姫の着物裾模様に似た草花が、狩屋の谷間一面に美しく咲くようになったという。 

 この伝説に出てくる地名「狩屋」は、岩尾山のふもとの畠田という場所にあるらしい。そこには今も、姫を供養するお地蔵さまが祀られているという。まだ僕はいったことがありません。

さて、せっかく花房城跡まで来たのだから、岩尾山山頂まで行くことにしました。

↓下の写真のように、途中二手に分かれている場所があるけど、これは右方向。若干くだっている道をいきます。ここまで来ても、ガードレールがあって、昔は整備された道だったんだろうな…ということが想像できます。

でも、草ぼうぼうで、雑草をふみわけふみわけしながら、山頂へと急ぎます。

↓無線中継所鉄塔の足がみえてきました。

やっと着いた。今もここには、メンテナンスのために人は来るのかな?ちゃんと機能しているんでしょうか?

鉄塔前は樹木が伐られてて、良い眺めが楽しめました。↓これは頓田(とんだ)貯水池がみえているようですね。

どうも、岩尾山の三角点は、この中継所敷地内にあるようです。あたりを探し回りましたが、見つからなかった。

 往復、1時間半ほどの小登山でした。

長崎街道の庚申塔 鞍手郡小竹と直方市山部

長崎街道の史料を読んでいると、福岡県鞍手郡の小竹というところに宿場町があったそうで、この小竹という場所に、庚申塔があるという情報を得て、庚申塔を探しにいくことにしました。 

ooitasyuyu.hatenablog.com

 

結論からいうと、↓この場所にありました。

 

場所:福岡県鞍手郡小竹町赤地

地図:Google Maps

よく目をこらさないと、見逃してしまいそうな茂みの中に、石塔が二基祀られていました。

ほとんど、文字はかすれて見えにくくなっていましたが、ひとつの石塔には、たしかに「猿田彦大神」の文字が刻まれていました。これは道しるべの神様である、道祖神ですね。

↓もうひとつのほうは…なんて書いているんでしょう。なんとなく、真ん中あたりの文字に「申」の文字が見えるように感じます。「庚申塔」の「申」の文字がみえているのでしょうか…確証はもてません。

二基の石塔の、すぐそばに、新しい「長崎街道跡」の道しるべがあり、これをもとに、他のサイトで二基の石塔について書かれているブログはないかな…と調べてみると、ありました。

シングルおやじの気ままな一人旅」←こちらのかたのブログを拝見させてもらうと、文字の見えにくい石塔は「勝野庚申塔」というらしい。

 

庚申塔のあるしげみ脇から長崎街道跡が、北東の「JR勝野駅」方向へのびています。

ここにある二基の石塔を眺めていると、通りかかった地元?のかたに、声をかけられ、別の場所にも庚申塔があることを教えていただきました。なんてありがたい。というか、庚申塔を知っているかたに、なかなか出会えないので、なんている奇跡なんでしょう。

 

そのかたに教えていただいた、「岩鼻庚申塔」のほうにも行ってみることにしました。

場所:福岡県直方市山部

地図:Google Maps

JR勝野駅から国道200号線に沿って、北東へ車で1分ほど走ると、見えてきます。踏切のすぐそばにあるのですが、車一台分くらいは周囲に停められるスペースがあるので、ここに駐車させてもらい、庚申塔のところへ行ってみました。

一見するとお墓のようにみえます。

 どちらの石塔にも「謹請幸神尊壐」と刻まれています。庚申が幸神と書かれている庚申塔は初めてみたかも…

 

「尊壐」というのもはじめて見たけど、よく見かける「尊天」と同じような意味なんでしょう。位の高いことを示す文字のようですね。