日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

福津市 勝浦の海岸にある庚申塔

 自然石に、「享保15年 戌年」と刻まれる庚申塔調べてみると享保15年がちょうど庚戌(かのえいぬ)という年にあたるそうで、だから、「戌年」なんだな。

場所:福岡県福津市勝浦

地図:Google Maps

庚申塔が建っている日吉神社の目の前は、すぐ海が広がっている。

神社といっても、拝殿とか、社殿が建っているわけではなく、石造りの基礎と小さな祠が祀られているのみ。たぶん、昔は、小さいながらも、この場所に木製の神社が建っていて、海風で朽ちたのかもしれない。

この小さな日吉神社について調べてみようとしたけど、ほとんど何もひっかからない。唯一、こちらのサイト(正見行脚:勝浦浜散策8~日吉神社と勝浦浜の風景(福津市)

で紹介されてた。

 

L字形になっている境内には、庚申塔や船つなぎ石、旗立て石があり、ソテツ(1本)も生えており…正見行脚:勝浦浜散策8~日吉神社と勝浦浜の風景(福津市)

庚申塔のある境内は、境内といっても、だいたい20畳くらいの広さしかない。ここに、よくわからない、石の棒が建っていた。この棒はなんなんだろうと思っていたけど、そうか、船つなぎ石だったんですね。

 

日吉神社境内は、周りの地面より1mほど、ぽっこりと盛り上がっているので、以前はこの神社のすぐそばまで海が来ていたのかも。

庚申塔は、下側がコンクリートに埋まっていて、すっきりと収まっている。境内の石碑に、「昭和57年改築」の文字が刻まれているので、その日吉神社改築のときに、境内に祀られていた庚申塔が、コンクリートに埋められたのかも。

年毛神社(としもじんじゃ)の庚申塔 福岡県 福津市 勝浦

以前、この「年毛(としも)神社」に庚申塔を探しにきたけど、人がたくさんいたので、結局、神社境内には入らず、引き返した思い出があります。今回は、神社に人はおらず、ゆっくり神社境内を散策することができました。

場所:福岡県福津市勝浦943

年毛神社の庚申塔Google Maps

 

庚申塔は、拝殿にむかって右側の、境内奥にまつられてました。いくつかの庚申塔が、一か所に集められてて、おそらく、この地区にちらばっていた庚申塔が、神社に集められたものだと思います。

庚申塔とはっきりわかるものは、「庚申尊天」と「庚申」というふうに、石表面に刻まれたもの。

そのほかの石塔は、なにも刻まれていないもの、地蔵菩薩らしき姿が刻まれているもの、梵字が刻まれているものがありました。

↑この梵字は、勢至菩薩(せいしぼさつ)の梵字かな?勢至菩薩のことを調べてみると、日本では、十二支(じゅうにし)の「うしの年」を守る菩薩なんだそうです。

 

四国八十八箇所霊場十三仏では、第53番札所の須賀山圓明寺で朱印がもらえるそう。ここ、福津市でも霊場巡りにちなんだ札所が、各所におかれているようなので、年毛神社は53番札所なのかもしれない。

 

神社境内の奥へ進むと、すぐに玄界灘が見えてきます。

林を抜け、鳥居をくぐると、青い海が広がっていました。なんとも、のどかな雰囲気の神社でした。

北九州市八幡西区の庚申塔

スマホGPS機能をONにしてたら、google mapが行った場所を自動で記録してくれるようになりました。「タイムライン」という機能で、あとから、自分がいった軌跡を地図上に表示してくれる。いままでは、GPSロガーを使って、わざわざ、行動記録を自分でしなくちゃいけなかったのに、なんて便利になったんでしょうね。

 

しかも、Googleフォトに、撮った写真をアップロードしたら、GPS情報が記録されてない写真でも、だいたいどこで撮ったのか、場所を地図上に表示してくれるみたい。たぶん、写真を撮った時間で、場所と整合させてるんでしょうね。

 

周りに目印のない、はじめて行く土地勘のない場所で、石仏とか庚申塔とかの写真を撮っても、「あれっ、この写真どの場所で撮ったかな?」となることが、よくあったんです。

 

google mapの新機能のおかげで、わずらわしい手続きをしなくても、GPSをONにすれさえすれば、どこで写真を撮ったかが、あとで写真を見返すときにわかるんだから、ありがたいですね。しかも自動で。

 

それはさておき、北九州市八幡西区を車で走っていると、また、たまたま庚申塔らしきものをみつけることができました。

場所:福岡県北九州市八幡西区市瀬1丁目11

八幡西区 市瀬の庚申塔Google Maps

 

八幡上津役郵便局の裏っかわ。駐車場のすみのほうに祀られてました。駐車場奥には祠があったので、昔はちょっとしたお宮があったのかもしれません。

夜に撮ったので真っ暗↑。googlストリートビューではこんな感じ↓

この自然石で造られた石塔には、文字もなにも刻まれていなかったので、庚申塔らしいという推定です。

金比羅山の庚申塔 北九州市 戸畑区

石塔や石仏、庚申塔など、各土地にある石造りの史跡を訪ねていってます。現実的な生活のなんの足しにもなりませんが、心なごむ、ちょっとした趣味です。

 

こういった史跡を、たいせつに保存されている地域の人たちは、概して心やさしい方々と感じます。先祖の残したものや、民俗を大切にするってことは、たぶん、気持ちに余裕がなければそんなことはできないんでしょう。そんな、民俗の一端にふれるのは、楽しいものです。

北九州市戸畑区にある金比羅山。ここに国境石(こっきょういし)という、北九州市のど真ん中なのに、不思議な名前の石があると聞き、探しにきました。国境石については、また別の機会に写真をアップしてみたいと思います。

 

今回は庚申塔について。ここ金比羅山でも、おもいがけず庚申塔をみつけることができました。

 

金比羅山の庚申塔:福岡県北九州市戸畑区金比羅

金比羅山の庚申塔Google Maps

 

金比羅山周囲は、まとめて「中央公園」と呼ばれているようです。金比羅池周囲、金比羅山の遊歩道ともに、たくさん、ウォーキング、ランニングをされているひとがいました。

そんな、運動をする方々が駐車しているのか、金比羅山中腹あたりの無料駐車場にはたくさんの車が停まっていました。駐車場に車を停めて、金比羅池方向へ、国境石を探しに下ろうとすると、すぐ南側に金比羅神社参道の鳥居がみえてきます。

この鳥居のすぐそばに「猿田彦大神」と刻まれた、庚申塔が祀られていました。しっかりと、榊(さかき)が祀られています。

庚申塔側面や裏側には、造られた年月日などは刻まれていませんでした。集落に祀られて、集落に害悪が来ないようにする守護神としての庚申塔ではなくて、金比羅神社への道しるべとしての庚申塔なんでしょうか。

 

福岡県の磨崖仏を巡る 田川郡 香春町 大岩弘法院

こちらの「九州の磨崖仏」というサイトを拝見させてもらい、福岡県にある磨崖仏を巡りはじめました。大分県では磨崖仏がたくさんあって、よく写真におさめていましたが、そういえば、福岡県に移ってからは、磨崖仏を見つけたことはないな…と感じていました。

 

今回、行ってみたのは、田川郡の香春町(かわらまち)という場所にある磨崖仏。

 

場所: 福岡県田川郡香春町香春

地図:Google Maps

 

「大岩弘法院」という寺院境内にあるという。

 

大岩弘法院は、街中からは外れて、山々に囲まれた自然豊かな場所にありました。大分県と福岡県を行き来していたとき、よく、この香春という町は通っていましたが、通りすぎるだけ。

よく行き来する道をはずれて、こんな場所にまで足をのばすことはなかった。だから、こんなところに、磨崖仏が祀られているなんて知らなかった。

 

香春町で、とても特徴的な山。平べったい皿のような山である「一ノ岳」のすぐ近くに、大岩弘法院はありました。

大岩弘法院に着いて、すぐにでむかえてくれたのが、この仁王様。すごい迫力。車が3台くらい停められる、ちいさな駐車場が寺院の入口にありました。

ここに車を停め、参道の階段を登っていきます。人気はなく、静かな境内。鳥の声が聞こえてきます。

この階段を登りきったところに、お地蔵さまと本堂。

本堂に向かって右手奥の岩壁に、磨崖仏は刻まれていました。

三体の磨崖仏の上側には、ふたつ梵字が刻まれています。これら磨崖仏や、梵字の説明はこちらのサイト「大岩弘法院の磨崖仏」が詳しい。

 

ひとつひとつの磨崖仏が巨大で、刻まれている岩自体も、こちらにグワッと迫ってくるような圧迫感がある。迫力がすごかったです。

本堂前の展望所からは、こんな綺麗な景色がみられるのです↓

↓それにしても、一ノ岳は、山の上部がすっぱり切り取られたように、平らになっています。セメントの原料になる石灰岩を採掘したためとのこと。

 

採掘している香春太平洋セメント株式会社は、平成16年3月末をもって解散しているので、採掘はこれで終わりだという。参照:香春岳

お寺の境内は、自然が豊かで、人もいなくて静かだったので、しばし写真撮影に没頭。自然と無心で向き合える、こんな時間が至福のときです。

福岡県遠賀郡芦屋町 岡湊(おかのみなと)神社の庚申塔

福岡県遠賀郡芦屋町に、岡湊神社(おかのみなとじんじゃ)がある。この神社は「古事記」にも、その名前がでてくるほど、長い歴史があるんだそう。

 

岡湊神社の場所は、芦屋町の東の端。遠賀川から50mほど内陸に入り込んだ住宅街のなかにある。岡湊神社の拝殿裏側に、庚申塔が祀られているのを、偶然みつけた。

 

岡湊神社の庚申塔Google Maps

境内の駐車場に車を停めさせてもらった。

拝殿の左側に、拝殿裏側にまわる道がある。

裏側には数基の祠が祀られている。

さらに拝殿の裏側をとおりすぎ、境内奥へ歩いていく。

境内一番奥の、大きな樹の下に庚申塔が祀られている。

猿田彦大神と刻まれる。

庚申塔に向かって右側に、造られた年月が刻まれているけど、見慣れない文字がある。「文政二己卯」。己卯って何?。

 

ネットで調べてみると…己卯(つちのとう、きぼう)は、干支(えと)の組み合わせの16番目とある。参照:己卯 - Wikipedia

 

でもこれでは、庚申塔が造られた年月がわからない。今度は文政二年で調べてみると、文政二年という年が、「己卯」という干支らしい。文政二年…つまり1819年が、この庚申塔が造られた年らしい。参照:年号表(江戸時代)

 

立っている庚申塔のかたわらに、二基の庚申塔らしきものが、横たわっている。「庚申」と刻まれたもの。「猿田彦大神」と刻まれたもの。これは昔、ここに立てられていたものなのか。どこか、ほかの場所に祀られていたものを、ここに集合させたものなのか。