日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

福岡県 水巻の庚申塔(こうしんとう)

あけましておめでとうございます。近頃は好きな登山や写真撮影の機会をつくれず、個人的な趣味の史跡巡りパン屋さん巡りが主な記事になっています。こんなブログでもみてくださる方々に感謝いたします。今年もよろしくお願いいたします。

 

福岡県にも探してみると、ぼちぼちと庚申塔が見つかります。庚申塔探しは、ちょっと宝探しみたいでわくわくしますね。

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福岡県遠賀郡水巻町に古賀という地区があります。ここに鷹見神社という、小高い山のうえに祀られる神社があります。上の地図だと、左上に示されてます。

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鷹見神社境内を拡大すると、上の図のようになります。鷹見神社境内へ上がるのに、アスファルト坂と、階段の参道があります。このアスファルト坂のふもとに庚申塔は祀られます。

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やっぱり猿田彦大神青面金剛像ではありません。福岡県は神道の影響が強いのでしょうか。福岡県に猿田彦大神庚申塔が多い理由も調べてみると、何か新しい発見があるかもしれません。

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水巻庚申塔 :福岡県遠賀郡水巻町猪熊4丁目

 

こちらは鷹見神社の参道と、境内の様子。


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 鷹見神社について詳しい史料が手元にないので、これくらいで。

福岡のパン屋さん巡り 久留米 キムラヤ ふわふわクリームが絶品

久留米に昔からある町のパン屋さん、キムラヤさん。なかなか久留米にまで行く機会がないので、三池炭鉱に行った帰りに、ここぞとばかりに立ち寄ってみました。キムラヤのまるあじというサクサクの菓子パンが有名らしいです。

 

キムラヤの場所:福岡県久留米市津福本町1377

現在地からキムラヤ:Google マップ

 

やっぱりお目当てのまるあじは逃せない。外見はメロンパンみたい。でもメロンパンじゃない。生地がサクサクのビスケット生地。甘党のぼくにはたまらない食感と味ですね。

そのほかにも、こんなパンを買ってみました。

なかでも好きだったのが、この久留米バニラのクリームパン。久留米ってバニラを推しているようですね。熱帯地域でしか栽培されていないバニラビーンズを、久留米を中心とした福岡県南部地域で栽培していこうとする動きがあるそうです。

そんなバニラビーンズを使ったクリームパンがおいしいんです。クリームがふつうと違ってふわふわなんですよ。これは一度食べておきたい、ふわふわのクリームを使ったクリームパンです。

ただ、キムラヤさんは2017年の1月末で全店が閉店してしまうとのこと。一度っきりのお店訪問になってしまいそうで残念です。

 

福岡県久留米市に本社を置き、長く地元に親しまれたパン製造・販売の老舗「木村屋」は29日、来年1月末で全店舗を閉鎖し事業を終了すると、公式フェイスブックで発表した。「経営環境の変化は大変に厳しく、経営体力を勘案した」という。(「キムラヤ」全店閉鎖へ 久留米の老舗パン店 - 西日本新聞

訪店したとき、ご年配のかたから、小さい子までのお客さんがいました。イートインスペースでも2組のかたがたがパンを食されてて、町にとけこんだパン屋さんという印象でしたよ。

世界遺産 三池炭鉱で使われていた鉄道跡は簡単にたどることができた

福岡県大牟田市にある世界遺産、三池炭鉱(みいけたんこう)。その関連施設のひとつに鉄道があります。石炭、炭坑資材、鉱夫を運んでいた鉄道は、最盛期には総延長150㎞ほどになったといわれています(三池炭鉱関連資産パンフレットより)

 

下のウィキペディアに載っていた地図を見ると、宮原坑(みやのはらこう)から万田坑を経由して、三池港三池炭鉱専用鉄道がのびてたんですね。

ぼくが行ったのは三池炭鉱のひとつである宮原坑(みやのはらこう)。この宮原坑から南へ2㎞ほどに位置する万田坑。宮原坑と万田坑の間に諏訪川が流れてて、この川に鉄橋が架かっています。鉄橋を、今回は写真に撮ってみました。

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場所:福岡県大牟田市馬込町

現在地から三池炭鉱鉄道の鉄橋:Google マップ

結構くっきりと鉄道が敷かれてた跡が残ってるのでわかりやすいですね。この鉄道敷跡も世界遺産として登録されているようですよ。

 

↓こちらは宮原坑のすぐとなりを走っている鉄道跡。google mapの航空写真で見てみると、宮原坑から万田坑まで、ずっと鉄道幅通りに砂利道がつづいているようですね。うーん。おもしろい。

一年ほど前に、大分県の宇佐神宮豊後高田市を結ぶ宇佐参宮鉄道の名残を写真におさめました。このときは、鉄道敷の痕跡がほとんど残っていなかったので、「この道路が鉄道の跡なのかな?」などと想像しながら、痕跡を探していました。

 

ooitasyuyu.hatenablog.com

 三池鉄道の場合は、そのような苦労なくして簡単に鉄道跡をたどれるので、さすが観光地という印象でした。

手のひら大のでっかい豚まん 小倉のおいしい豚まん屋さん 平和會館

小倉に行ったときは、よくここの豚まんを買っています。脂っこくないので、胃にもたれずほんとおいしいんです。

 

平和會館(へいわかいかん)の場所:福岡県北九州市小倉北区魚町2丁目6-15

現在地から平和會館Google マップ

おいしいのは、まんじゅうの皮部分がほんのり甘いからかな。具はさっき書いたとおり、脂っこくなくてやさしい味。

 

見てください、この大きさ。手のひら大の大きさなんですよ。ひとつまるまる食べたら、けっこう満足。一個250円。

おなかが空いたときに、豚まんといっしょに買いたいのは、たかなまん

購入するとき、お店のひとに「冷たいのと温かいの、どちらにします?」と聞かれます。家に帰って温めて食べたいときは、冷たいほう。すぐに食べたいときは温かいほうで購入してます。

 

ちなみにお店の外観はこんな感じです。

小倉の街で小腹がすいたときに、立ち寄るのはいいんじゃないんでしょうか。

ボランティアガイドの解説がよかった 三池炭鉱の資産 宮原坑跡(みやのはらこうあと)

学生のころ歴史はめっぽう苦手でした。暗記ものの教科というイメージで、おもしろい印象はなかったのです。でも社会人になって、世の中で起きてる出来事を体系的にとらえられるようになってきて、最低日本の歴史ぐらい知っとかないとなぁと思い始めてきました。特に史跡めぐりをしはじめてからは、その思いは強くなって、自分の無知さにいやになることも…。

 

世界遺産に登録された三池炭鉱(みいけたんこう)にいってみました。2016年12月24日のことです。ほんと行ってよかったです。三池炭鉱といってもたくさんの施設があります。いくつかの関連施設に行ったのですが、そのなかの宮原坑(みやのはらこう)を、今回はご紹介します。

施設内はボランティアガイドのかたに丁寧に説明をしていただいて周りました。写真もいっぱい撮らせてもらいました。これだけ密な時間を過ごせたのに、入場料もツアー料も、すべて無料。なんてすごい。ひとりでじっくりと周りたい見学者は、説明音声が流れるタブレットとか、スマホを希望に応じて、無料で貸してくれるそうですよ。

はじめは「ちょっと世界遺産ってどんなものなの?ちょっといってみたい」という軽い気持ちでした。大牟田市のいろんな施設をまわってみると、期待以上の楽しい一日でしたよ。炭坑の歴史…いや大牟田の歴史って深いですね。

 

”三池炭鉱”は、たくさんある資産の総称

三池炭鉱って、石炭を掘るひとつの穴を指すものだと勝手に思っていましたが、違うみたい。↓下の図のように、三池炭鉱に関する建物や坑口(こうぐち;石炭を掘る穴へのいりぐち)、そして機械などを総称して三池炭鉱 関連資産と呼んでいるそうです。

今回は、この宮原坑跡の見学にいってみました。

 

宮原坑跡の場所:福岡県大牟田市宮原町1丁目 宮原町1丁目 86−3

現在地から宮原坑跡:Google マップ

 

宮原坑跡を見学するときのキーワードはこの三つでした。

地下水をくみ上げるのがメインだった宮原坑

七浦坑や宮浦坑のふたつの炭坑付近を掘削していたとき、問題になったのが大量の地下水なんだそうです。石炭1トンに対して、地下水が11トンも湧いてきて、それは大変でした。

 

この地下水をくみ上げるのを主な目的として、宮原坑が掘られました。宮原坑跡にきたときに一番はじめに目につくのが、この↓おおきな鉄塔。これは第二竪坑櫓(たてこうやぐら)と呼ばれるものです。

この櫓の下にレンガ造りの建物がありますね。レンガ造りの建物の下部にアーチ型の窓がついています。

アーチ型の窓をのぞくと…

↓こんな感じの部屋になってます。今はコンクリートで埋められてますが、コンクリートの下には竪坑(たてこう)…つまり穴が156.9mも掘られているそうです。この竪坑から地下水をポンプでくみ上げていたそうです。水はパイプを伝って、アーチ型の窓から外へ排出されました。

外へ排出された地下水は、↓この排水溝へ流されました。

 

ちなみにこのレンガの壁のこちらがわ(手前)には、昔は大きな建物がちゃんと建っていて、室内になってたそうです。レンガの積み方はちょっと変わっていて、横向に積まれたものと、縦向に積まれたものが混じってますね。こうすることで、より強固に壁をしていました。

 

鋼鉄製だからいまも健在 竪坑櫓(たてこうやぐら)

二つ目のキーワードである日本最古。これは、1901年に完成した第二竪坑櫓が、現存する日本最古のものということです。今から115年も前に建てられたものなのに、新品みたいですね。

櫓の高さは約22m。櫓の上に滑車がつけられてます。櫓は、捲揚機(まきあげき)から伸びるワイヤー(鋼索)を巻き上げたり、さげたりされるのを支えていました。

↑これがワイヤー。

↓これが捲揚機。形がいびつですね。真ん中が膨らんでて、左右がへこんでます。これは左右でそれぞれ違う向きに回転するからなんだそうです。

 ↓今は、支柱と車輪の間に木製の歯止めがつけられてます。車輪が動かないようにする、車のサイドブレーキのようなものです。

ワイヤーで何を巻き上げたりしてたかというと、作業員や馬、そして地下水、石炭などです。

 

第二捲揚室の外にある、この小さな箱のようなものに作業員は乗って、穴へ降りていったんですね。

これに馬も乗って降りてたそうです。

↓ 箱の上には支柱が一本走ってて、これに人はつかまって揺れに耐えてました。

できるだけ横揺れが激しくならないように、箱の四隅に木製の支柱が立てられて補強されてます。一度箱が揺れてしまうと、その揺れが治まるまで昇降は待っていないといけなかったそうです。

 

捲揚機を操縦するスイッチ↓ボランティアガイドのかたの傍に棒がありますが、これを手前に引いたり、押したりすることで捲揚機をON、OFFします。

↓操作するときの心得が書かれた看板。左側に暗号表のようなものがありますが、これはモールス信号の一覧。竪坑の下にいる人と緊急の連絡をとるときに使われていたそうです。

↓連絡はこの黒電話でもとっていたそうです。

捲揚機のブレーカーのようなもの。これも捲揚機室の一角に設置されていました。

 

劣悪な環境でたくさん人や馬が亡くなった

もうひとつ、三つ目のキーワードである囚人ですが、宮原坑は特に環境が劣悪な炭坑だったために、作業員を募集しても人手が集まらなかったそうです。そのため、労働に従事させられたのが、三池集治監(みいけしゅうちかん)という監獄に収容されていた人たちです。

 

三池集治監に収容されていた人たちは、凶悪な犯罪者が多かったそうですが、その人たちでさえ、宮原坑を”修羅坑”と呼ぶほど、辛い労働場でした。換気が悪く、石炭の粉塵が舞い、気温32℃の薄暗い炭坑のなかで1日12時間働いていたそうです。そのため体調を崩したり、事故で亡くなった人がたくさんいたそうです。

 

↓ちなみにこちらは従業員の控室。櫓のすぐ隣にあります。

↓炭で汚れた身体をここの洗い場で洗ったり、控室で弁当を食べるなどしてくつろいだんでしょう。

↓部屋の中央にストーブ。

従業員控室の隣は倉庫みたいになってて、ここに坑道に据え付けられてたランプが置かれてました。

↓当時つかわれてたサンダー。

↓捲揚場(まきあげば)横にあるトロッコ

 まとめ

①大量の地下水をくみ上げて排水することがメインの竪坑

②現存する日本で最古の竪坑櫓

③囚人を労働力としていた

 

宮原坑を見学するときのポイントはこの三つだと、ボランティアガイドのかたに教えていただきました。ゆっくり見てまわりたかったので、宮原坑跡に入場して、はじめは解説を断っていました。だけど自分たちで坑内をまわっていても何もわからないので、引き返して解説をお願いすることにしました。はじめから解説をお願いすればよかったです。

 

ボランティアガイドのかたの解説はわかりやすくて、みなさんほんとにやさしく親切でした。何度も書きますが、これが無料ですからね。宮原坑跡に、はじめに行ってよかったと思います。

上の図は受付でいただいたパンフレットをもとに、三池炭鉱 関連資産をまとめてみたものです。宮原坑跡以外にも、まだこんなに関連資産があるそうです。いつくかを周ってみたので、ぼちぼちアップしていきたいと思います。

古墳の上にたてられたお宮 縫殿(ぬいどの)宮には祠がひとつ残っていた

 前に縫殿神社(ぬいどのじんじゃ)へ行ったとき、その近くに縫殿宮という別のお宮もあるということをこちらの書籍神功皇后伝承を歩く(上) 福岡県の神社ガイドブック 綾杉るな著 不知火書房」で知ったので、縫殿宮にもいってみることにしました。

 

古墳の上に建てられたお宮で、そこには祠が祀られているんだそうです。どんな雰囲気の場所なんだろうと気になってました。

ooitasyuyu.hatenablog.com

 

 

縫殿神社・縫殿宮がある場所は、たくさんの古墳が出土しているところ。その古墳の名前が新原(しんばる)・奴山(ぬやま)古墳群とか津屋崎古墳群というそうです。そのたくさんある古墳のひとつ…津屋崎古墳22号墳の上に縫殿宮があるということ。

22号墳ってどこなんだろう?書籍の地図を参照しながら、迷い迷い見つけだしました。

津屋崎22号墳の場所:福岡県福津市勝浦

現在地から津屋崎22号墳:Google マップ

 

駐車スペースがあるのか、ないのかわからなかったので、道ばたの広くなったところに車を置かせてもらい、少し歩いていくことにしました。

 

駐車したところから北東を眺めた景色です↓手前にフェンスで囲われた、なんだか古墳っぽいところがあって、その向こう側に民家が見えます。

どうもフェンスで囲われた場所は、津屋崎の21号墳らしいです。

フェンスの中にはたくさんの石塔が立っています。案内板をみてみると、新原(しんばる)の百塔板碑(ひゃくとういたび)と呼ばれているそうです。

板碑は、今でいうところの卒塔婆(そとうば)。お墓に立っている木で作られたあの板ですね。亡くなったひとの供養のために立てられているそうです。

さて、21号墳を横にみながら、22号墳へ続く細道を歩いていきます。

視界がひらけます↓

すると22号墳とおもわれる丘の北側に、白い鳥居がみえてきました。

↓鳥居には縫殿宮の文字が刻まれてます。ここで間違いがないようですね。

鳥居から、ちょっと後ろを振り返るとこんな感じで、小道が国道495号線までつながっています。

鳥居をくぐり、少し石段をのぼっていきます。周りは静か。ひとは誰もいません。なんだか神聖な雰囲気が感じられます。神社を巡っているときの、この感じがいいですね。

↓階段を登りきると、広場になっていました。

↓石の礎が残っていて、昔ここには社殿がたてられていたのでしょうか。

↓そして見てみたかった祠。おそらく前に紹介した縫殿神宮と同じように、兄媛(えひめ)が祀られているのでしょうが、詳細はわかりません。手を合わせて縫殿宮を後にしました。

ブランド豚をつかったカツサンドがおいしい 峠のパン屋@宗像

福岡県宗像市をとおる国道495号線を西へ走っていると、左手側にちらっとみえたパン屋さん。気になったので立ち寄ってみると、やよい豚というブランド豚を使ったカツサンドがおいしかったので、ご紹介します。

こうして地図で見てみると、新鮮な魚介類で有名な道の駅むなかたのすぐ近くだったんですね。

峠のパン屋の場所:福岡県宗像市神湊

現在地から峠のパン屋Google マップ

 

峠のパン屋さんに行ったら、やよい豚を使ったカツサンドが外せないんだそう。

 

やよい豚というのは、福岡県にある久山町山田という地区にある養豚場で飼育されているブランド豚。はじめて知りました。

 

↓カツサンド。このカツサンドと白いクリームチーズパンが、峠のパン屋さんの人気商品なんだそうですよ。

↓白いクリームチーズパン。

カツサンドのカツは脂たっぷりで、あまーい。そしてやわらかーいですね。

↓カレーパンはちょっと辛めで、大人向けのカレールーですね。

ごぼうとゴマを使った総菜パン。

ちらっと立ち寄るパン屋さん。そこでしか味わえないものは、遠出したときの楽しみのひとつですね。