福岡県遠賀郡岡垣町黒山にある春日神社。境内に祀られる地蔵菩薩らしい石仏。こういった素朴な石仏は心惹かれます。
今年も見ごろを迎えている彼岸花の列 宗像市吉留 2017年9月23日
今年も宗像の彼岸花が綺麗に咲いています。
場所:福岡県宗像市吉留
地図:Google マップ
去年、この彼岸花が綺麗な場所をみつけたときは、もうすでに彼岸花の時期がすぎており、花の多くが枯れかかっていました。今年は、いい時期に来ることができました。花は生き生きとしてみずみずしい。まだまだ、見ごろのようです。
国道3号線の冨地原という交差点を、県道29号線へ逸れ、「釣川」という小さな川に沿って車で東へ5分ほど行くと、この場所に辿り着きます。県道29号線からでも、釣川の土手に美しい赤いラインがあるのが見えますよ。
去年、↑この記事をアップしたのが9月26日。9月26日では花の見ごろピークは過ぎていたので、9月の3週目あたりが、だいたい毎年のピークと考えて、足を運ぶといいかもしれません。
庚申塔の本尊でメジャーな青面金剛(しょうめんこんごう)は、どんな仏様なのか?
最近、イラストと図解でわかる 日本の仏像 (宝島SUGOI文庫)という書籍を読んでいて、こうやって仏像を分類すると、仏像を拝観するとき、わかりやすいな!と感動しました。
弥勒菩薩とか大日如来とか、薬師如来とか…いろんな名前の仏さまが、仏像として祀られています。でも、なんとなく拝観していたので、これまでわけがわかりませんでした。
この本によると、仏像は大きく以下の5つに分けられているんだそうです。
①如来
②菩薩
③明王
④天
⑤その他
そして、これら5つの仏像は、もともとはひとつの仏だったんだそうです。そのひとつの仏というのが、大日如来です。如来も菩薩も明王も、みんな大日如来の化身というのが密教の解釈ということです。
こうみると結構シンプルにまとめられます。例えば、道ばたなんかでよく見かける「お地蔵さま」。
お地蔵さまは、正式の名前は「地蔵菩薩」。はじめに示した図では、上から二段目の「菩薩」の部類に含まれるんですね。
では、庚申塔(こうしんとう)の本尊でよく彫られている青面金剛(しょうめんこんごう)は、どの部類の仏様になるのか?
青面金剛を「青面金剛 - Wikipedia)」で調べてみると…
青面金剛明王とも呼ばれる。夜叉神である。
インド由来の仏教尊像ではなく、中国の道教思想に由来し、日本の民間信仰である庚申信仰の中で独自に発展した尊像である。庚申講の本尊として知られ、三尸(さんし)を押さえる神とされる。
…とあります。庚申信仰でオリジナルの仏様なんですね。インド由来の仏像ではないそうです。イメージとしては、こんな感じでポツンと枠からはみ出しているような感じでしょうか?
一方で、青面金剛の造形を眺めてみると同時に、青面金剛の別名は「青面金剛明王」とあるので、姿形は明王を元にした仏様のようでもあります。
ちなみに、密教の明王は、以下のようにイラストと図解でわかる 日本の仏像 (宝島SUGOI文庫)では、紹介されています。
藩仏教的な人々を調伏(ちょうぷく)するだけでなく、信者を守り、時には神や悪魔にも対するために、忿怒(ふんぬ)の表情に加えて、蛇やドクロなどで身を飾り、異様な外見をとる。
燃え盛る火焔光背を背負っているのは、修正の煩悩を焼きつくし、智慧の光明へと変えるためである。
こういう忿怒の表情をもつ明王は、密教だけでなく、アジアの他の宗教でもみられるそうで、幅広く信仰されていることがわかります。毒をもって毒を制すように、恐ろしい仏敵に対して、恐ろしい形相をした力強い存在をもって信者を守っているんですね。
庚申塔のなかの青面金剛も、三尸(さんし)【人間の体のなかにいて、寿命を左右するといわれる虫】を制するために、恐ろしく力強い外見をもっているのでしょう。青面金剛は仏教由来の仏様ではないとはいえ、やっぱり発想の元となったのは仏教由来の明王と予想されます。
ところで、ひとことで明王といっても、いくつかの種類があるようで、イラストと図解でわかる 日本の仏像では7種の明王が紹介されていました。まだよくはわかりませんが、仏教の宗派によっても下の明王のほかに、またいくつかの明王がおられるようです。ここでは7種にとどめておきます。
そして、明王によって守る位置が決まっているようです。
一番よく耳にする不動明王は、さすが、中心を守っています。ちなみに西を守る大威徳明王(だいいとくみょうおう)は、神の使いである牛に乗っているとされています。この明王様は大分県豊後高田市の真木大堂(まきおおどう)で、立派な木像を見学することができます。
では、これら明王のなかで、青面金剛となる明王はいるのか?見た目だけで判断したら、なんとなく金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)が、青面金剛に似ているように、個人的には思います。 参照:金剛夜叉明王 | 仏教・仏像サイトの『ほとけぞう』
でも、庚申塔の研究 (1959年)を読んでみると、そんなに単純にはいかないようです。調べていくうちに、どうも「青面金剛は、この種類の明王から模倣されている」と明らかにわかるものではないようですね。
というのも、青面金剛の形態が一定ではないからで、手が2本だったり6本だったり、顔が1面だったり3面だったり、多種多様だからです。
青面金剛の正体は?…の結論は「よくわからない」なんですが、庚申塔の研究 (1959年)をもう少し読み込んでみると、青面金剛のもととなる仏様は、大自在天(だいじざいてん)としています。大自在天は、要するに日本の仏様でいう大黒様。もともとはインド神話の破壊神であるシヴァ神から変化したものです。青面金剛がもともと大自在天であったということが説明された文を見てみます。
三輪善之助氏は、ラマ僧が小石川護国寺の青面金剛を指して、インドのマカカラと同形であると指摘したところから、青面金剛はマカカラ出ていると説明されている。(中略)マカカラが仏教にはいって大自在天となった。大自在天は雲崗(うんこう)の石窟にも彫刻されており、三面八手、牛にのっているが、この大自在天が青面金剛や三宝荒神、馬頭観音の共同の祖先であるとされている。
大自在天 - Wikipediaを見てみると、このような感じです。
青面金剛とは、まったく似ていません。ほんとに、青面金剛のもととなる仏様なのかな?と疑ってしまいますが、この大自在天から明王、そして青面金剛と変化していったと考えたら、なんとなく納得がいく感じがします。
まだまだ、わからないことがたくさんあるので、ぼちぼちと調べて図にしていってみたいと思います。
ふたごの島があった 地名の由来 北九州市の二島 追記
福岡県北九州市若松区に二島(ふたじま)という地区があります。ここの地名の由来について、以前に記事を書きました。
北九州市の洞海湾(どうかいわん)には、現在は島はないのですが、以前いくつかの島があったそうで、二島ふきんにはほんとに二つの島があったんだそうです。昭和30に、洞海湾の北側は埋め立てられ、そのときに島はなくなったんだそう。
ふたつの島は、それぞれ本島と沖島で、ふたつあわせて二子島と呼ばれてました。
今(2017年9月17日現在)、若松区のイオンショッピングモール2Fに、昔の若松区の写真が掲載されています。そのなかに、二子島もありました。
埋め立てのときに陸続きになって、そのときに削られたんだそうですよ。