※1.『沖縄の聖地 御嶽』
社殿のない「何もない」聖地・御嶽
沖縄の村々に必ずと言っていいほど祀られている御嶽は、アコウやクバといった南方系の木々が生い茂る森そのものを聖地としています*1。本土の神社と、いちばん異なる点は「社殿」に類する人工的な建物がない「何もなさ」です*2。森の奥深くには「イビ」と呼ばれる至聖所があり、香炉や自然石が置かれているのみで、枝一本折ることも許されない厳格なタブーが存在します*3。また、祭祀を取り仕切るのは本土の男性神主とは異なり、「ノロ」や「司」と呼ばれる女性の神職(神女)であることもだいじな特徴です。
古神道の姿を今に伝える「森」
このような社殿を持たず、森そのものを神聖視する御嶽の姿は、古代日本の神道(古神道)のあり方をつよく残していると考えられています*4。柳田国男や折口信夫といった民俗学者たちも、早くから沖縄の信仰に古神道の面影を見出していました。『万葉集』などの古文献において「社」を「もり(森)」と読ませていることからも、かつての本土の神社には建物がなかったことが分かります。本土に壮大な社殿が築かれるようになったのは、後世に伝来した仏教の寺院建築の影響を受けたためだと推測されており、何もない御嶽の姿こそが神社の原点なのです*5。
「貝の道」と東アジアへ広がる神の森
著者の視点は沖縄と本土の関係だけにとどまっていません。古代、南西諸島のヤコウガイなどの貝が九州や本土へと運ばれた「貝の道」を辿るように、社殿を持たない「神の森」の信仰は、対馬や九州西海岸にも点在しています*6。さらに海を渡った韓国の済州島には「堂」と呼ばれる、森や巨石を聖域とする御嶽と酷似した信仰空間が存在し、古代新羅の建国神話に登場する「鶏林」の遺跡などにも聖なる森の痕跡がみられます*7。
まとめ
豪華な社殿などの建造物に頼らず、自然の森や巨石そのものに神の気配を感じて祈りを捧げる御嶽。御嶽という、沖縄固有に見える聖地が、ほんらいは古代日本、さらには海で繋がる東アジア一帯に共通する「祈りの原風景」であることがうかがわれます。
- 沖縄の御嶽は人工的な社殿を持たず、森そのものを聖地として女性神職が祭祀を取り仕切る信仰形態です。
- 御嶽の社殿を持たない自然崇拝の姿は、古代日本における神道(古神道)の本来のあり方を伝えています。
- 本土の神社に社殿が建てられたのは仏教寺院の影響とされ、何もない森の姿こそが神社の原点にあたります。
- 森を神聖視する信仰は、古代の交易ルート「貝の道」に沿って対馬や九州の西海岸などにも見られます。
- 韓国・済州島の堂(ダン)など東アジア一帯にも、御嶽と酷似した自然を聖域とする祈りの空間が存在します。
*1:※1,P8
*2:※1,P18
*3:※1,P12
*4:※1,P96:御嶽とその信仰が古神道のありようを今に伝えているとは、今から一世紀近くも前、柳田国男がはじめて言い出したことである。実際、古代、神社に社殿がなかったとは、『万葉集』に社を「もり」と読ませていることからも知ることができる。
*5:※1,P105-106:社殿の建立にあっては、仏教寺院の影響も大きかったと指摘するむきが多い。六世紀、日本に仏教が伝来するや、歴代の天皇や聖徳太子がその信者となり、次々と寺院が建立された。中にはきわめて宏壮なものもあった寺院に比べると、森や岩だけの神社は、施政者の眼に貧寒なものに映ったであろう。
*6:※1,110-112
*7:※1,P144:今もそれぞれの村には神堂があるが、これを“堂”(ダン)“本郷堂”(ポンヒャンダン)などと呼んでいる。堂の形態は建物なのはごく少なく、大部分は神木の前に祭壇を作り、石垣で囲んで置くのが一般的である,148:小さな森と祭壇代わりの大きな岩だけで、堂社らしきものはない,P174:慶州には鶏林という聖林がある。慶州は、新羅千年の古都と言われていて、建国が三国の中で最も古く(中略)今も多くの史蹟が残り、鶏林もその一つである