多読は、はためには単なる情報の収集や、知識の誇示のように映ることもあるかもしれません。しかし、読み手自身の内面においては、生存に直結した目的があるのではないかと推測されます。毎日生活をしていると、多くの言葉や感情の波にさらされ、それらのなかには、心身を蝕(むしば)むような「毒」が含まれていることも少なくありません。こういった、外部からのダメージに対し、本を読むという行為がどのような防波堤となるのか?
言葉による解毒の機能
読書を「解毒」と捉える。解毒というニュアンスは、日常で浴びせられる否定的な言葉や、自己肯定感を削り取るような環境要因を、読書によって中和してゆく効果が期待されます。自分とはちがう価値観や、はるか遠い時代の知性に触れることは、閉塞した現実の毒性を希釈し、精神のバランスを保つための有用な手段となるのではないかと考えます。
摂取と消化のメカニズム
単にページをめくる速度や冊数ではなく、その内容をいかに「消化」し、自身の血肉(けつにく)としてゆくか?
書籍の内容をそのまま鵜呑みにすることは、一時的な知識の充足感をもたらすかもしれませんが、それは消化不良を引き起こす。自分自身の体験や思考と照らし合わせることなく取り入れられた言葉は、栄養分として十分に吸収されず、結果としてそのまま体外へ排出されてしまうような、虚しい作業になりかねないです。
| 摂取の状態 | プロセスの特徴 | 得られる結果 |
| 鵜呑み | 批判的吟味を欠いた受容 | 消化不良、一時的な情報の保持 |
| 咀嚼 | 自身の価値観との照らし合わせ | 深い理解、思考の柔軟性の獲得 |
| 血肉化 | 長期的な内面への取り込み | 精神的な耐性、生存のための力 |
得られるものがたとえわずかであっても、それをゆっくりと咀嚼し、自分自身の言葉で再構築してゆく過程こそが、真の意味での「救い」につながるとおもわれます。
毒を受け入れないための心身の涵養
本に依存し、現実からの逃げとしてのみ利用するのではなく、本を鏡として自分自身を客観視し、しなやかな強さをつちかってゆく。つちかわれた心身は、外部からの毒性のある言葉を、単なる「音」や「文字情報」として処理できるようになるではないか?自身のなかに強く柔軟なフィルターが形作られることで、不要なダメージを透過させ、必要な栄養分だけを選別して取り入れる力が備わってゆくのではないでしょうか。日々の読書を通じて、少しずつ、自身の内面を耕し、整えてゆく地道な作業の積み重ねをしてゆく。
本を読みまくる人々が求めているのは、単なる情報ではなく、ややこしい世の中を歩き続けるための、静かな「耐用性」なのかもしれません。自身のなかに残るかすかな手触りを育ててゆくことで、少しずつ、自分だけの「救い」の形を作り上げてゆくことができるのではないかと考えます。