若松軍艦防波堤について調べている際、3つの情報源を参照しました。
・現地案内板
・史料『若松軍艦防波堤物語』
・慰霊碑下の石碑
軍艦防波堤として埋められている戦艦三艦(冬月・涼月(すずつき)・柳)のうち、柳についての艦歴に齟齬があるように推察されます。おそらく慰霊碑下の石碑にエラーがあるようです。
慰霊碑したの石碑には、同じ「柳」という名前を持つ別の艦の記憶が記されているようです。

どうしてこのような「ズレ」が生じてしまったか?
慰霊碑を建立する際、「防波堤としてここにある船(初代)」の正確な履歴よりも、「大和と共に戦った冬月・涼月と並ぶにふさわしい、激戦の記憶(二代目)」が優先された結果、あるいは単純な同名艦の混同が発生した結果だと推測されます。
若松の港には、実際には、第一次世界大戦時に運用されてきた大正生まれの老朽艦が埋没されています。いっぽうで、慰霊碑下の石碑には昭和生まれの戦艦の記憶が記されています。
石碑で記されている戦艦と、実際に埋没している戦艦が、まったく別の船を指している。このバグのような状態がそのまま風景の一部になっているのが、この現場のリアルな状態だと考えます。歴史が、純粋な事実だけでなく、誤った情報の蓄積も含めて作られていく過程がみられるのではないかと考えます。
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各3つの史料に記されている艦歴を以下に記してみます。
慰霊碑の下側に記銘されている艦歴は以下の通りです。
戦歴概要
冬月
昭和十九年五月二十五日 舞鶴海軍工廠にて竣工昭和十九年六月 大東島父島方面へ輸送作戦に従事、殊勲を立てる
昭和十九年十月 御前崎沖合にて作戦行動中敵潜水艦の雷撃を受け前部中破
昭和十九年十一月 比島方面作戦輸送に従事
昭和二十年四月 沖縄特攻作戦に僚艦涼月と共に大和の直衛艦として出撃、奇蹟の生還を果たす
昭和二十年八月 戦後門司港において触雷後部大破
昭和二十三年九月 涼月、柳と共に若松港の防波堤となる
涼月
昭和十七年十二月二十九日 長崎三菱造船所にて竣工昭和十八年三月 空母部隊輸送船団護衛に従事、殊勲を立てる
昭和十九年一月 南方作戦へ向う途中宿毛南方洋上で敵潜発射の魚雷二本が命中、艦の前部と後部を切断、残った中央部は僚艦に曳航され呉帰投
昭和十九年十月 復元の後台湾航空基地向け機材を積み出撃、途中再び雷撃を受け艦首を切断呉帰投
昭和二十年四月 沖縄特攻作戦に僚艦冬月と共に大和の直衛艦として出撃、米艦載機約四百機の猛攻を受け前部を大破後進にて佐世保生還
柳
昭和二十年一月八日 大阪藤永田造船所にて竣工昭和二十年四月 沖縄特攻作戦出撃直前に編制より解かれる
昭和二十年六月 日本近海において敵潜水艦索敵掃討中、敵潜艦一隻撃沈
昭和二十年七月 津軽海峡において米艦載機百数十機の攻撃を受け艦尾を大破大湊港外に擱坐

場所:福岡県北九州市若松区白山
座標値:33.905814,130.800058

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『若松軍艦防波堤物語』P.22-P.23に収録されている「資料2 三艦の艦歴」および「「冬月」艦歴」に基づく、各艦の艦歴要約です。
冬月
昭和19年(1944年)5月25日に、秋月型駆逐艦として舞鶴海軍工廠で竣工。1944年10月:横須賀から大分へ向かう途中、遠州灘で米潜水艦の雷撃により艦首に被弾するが、自力航行で呉に入港し修理を行う。
1945年4月:大和を中心とした沖縄特攻作戦に出撃。坊ノ岬沖海戦においてロケット弾2発を被弾するも不発に終わり、沈没艦の乗員救助にあたった後、佐世保に帰投。
1945年8月:門司港内で触雷し、後部を喪失して航行不能状態となる。
1945年11月:除籍。工作艦として周辺海域の掃海任務に従事した後、1948年5月に解体され軍艦防波堤となる。
涼月
昭和17年(1942年)12月29日に、秋月型駆逐艦の三番艦として三菱重工業長崎造船所で竣工。1944年1月:輸送作戦中、米潜水艦の雷撃により前部と一番砲塔下部に被弾。火薬庫の誘爆により艦首切断等の甚大な被害を受けつつも呉へ帰投し、修復工事によって直線形状の艦首となる。
1944年10月:再び米潜水艦の雷撃を受け、艦首を切断する被害を受けたことでレイテ沖海戦への参加が不可能となる。
1945年4月:戦艦大和の海上特攻隊に随伴し出撃。坊ノ岬沖海戦にて直撃弾を受け一番・二番砲塔が大破、通信装置およびジャイロコンパスが破損する状況下で、後進状態で佐世保へ帰投。
1945年11月:除籍。1948年5月に解体され、船体は軍艦防波堤となる。
柳
大正6年(1917年)5月5日に、桃型駆逐艦の四番艦として佐世保海軍工廠で竣工。1917年12月:第二特務艦隊に編入され、地中海での船団護衛任務に派遣される。
1919年8月:特務艦隊解散後、佐世保を中心としながら各種任務に従事する。
1940年4月:除籍され、佐世保海兵団の練習艦となる。
終戦後:戦後解体され、船体が軍艦防波堤となる。

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以下は現地の案内板に記されている艦歴です。
冬月(ふゆづき)
昭和19年(1944)5月:舞鶴海軍工廠竣工「秋月」級 超大型防空駆逐艦昭和19年(1944)10月:遠州灘で魚雷被弾
昭和19年(1944)10月:空母「隼鷹」を護衛
昭和20年(1945)4月:大和を中心とする沖縄特攻「天一号」「菊水」作戦に参加、諸艦の生存者を救出の後、佐世保に帰還
昭和20年(1945)8月:終戦後、関門港で接雷、博多港で引揚船の支援。除籍 昭和20年11月20日
涼月(すずつき)
昭和17年(1942)12月:長崎三菱造船所竣工「秋月」級 超大型防空駆逐艦昭和18年(1943)4月:第三艦隊第61駆逐艦。トラック、パラオ、マーシャル群島で護衛任務
昭和19年(1944):延岡沖で魚雷被弾(1月・10月)
昭和20年(1945)4月:大和を中心とする沖縄特攻「天一号」「菊水」作戦に参加、直撃弾を受けて大破、微速後進で佐世保へ帰還、応急修理の後、防空砲台。除籍 昭和20年11月20日
柳(やなぎ)
大正6年(1917)5月:佐世保海軍工廠竣工「桃」型二等駆逐艦大正6年(1917)6月:第二特務艦隊第15駆逐隊、地中海へ
大正6年(1917)8月:マルタ島到着、英国海軍と共に通商保護作戦に従事
大正7年(1918)3月:仏、輸送船「ラ・ロアール」を救助曳航、500名以上を救助
大正8年(1919)6月:横須賀へ帰還
昭和15年(1940)4月:佐世保係留。除籍 昭和15年4月1日







赤丸左下:慰霊碑