日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

共有される出発点

『知性について』ショーペンハウエル著,細谷貞雄訳.岩波文庫

哲学とその方法について,P15

 

哲学上の著作者は案内人であり、その読者は旅行者である。ともどもに目的地に着くつもりならば、まず何をおいても、相携えて出発しなければならない。すなわち著者は、双方が確実に共有している立場の上で読者を迎えなければならない。しかるにこの立場とは、われわれ万人に共同の経験的意識の立場以外の他のものでありえない。だから著者はここで読者の手をしっかりと握って、さてこれから彼とともに山の小径を一歩、一歩、雲また雲をこえて、どこまで高く登ってゆくことができるかを見るがよい。かつてカントもまた、こういう行き方をしたのである。彼は自己自身についても他の物事についても、まったく身近な意識から出発する。

 

――これに反して、超自然的な事態や、まして超自然的な過程などについていわれる知的直観とか、超感性的なものを聴取する理性とか、自己自身を思惟する絶対的理性とかを出発点としようとするのは、何たる不条理であろうか。けだし、これらはすべて、直接的には伝達しえない認識の立場から出発することを意味するのであり、それでは読者はすでにそもそもの出発に際して、自分が著者の傍に立っているのか、それとも彼から千里を距てているのかを、決してわきまえることができないのである。

 

案内人(著者)と旅行者(読者)がいっしょに目的地(理解)に到達するためには、まず何よりも「いっしょに手をつないで出発する」ことが不可欠です。著者が読者を迎える場所は、「双方が確実に共有している立場」でなければなりません。

 

この「共有している立場」とは、「われわれ万人に共同の経験的意識の立場」です。つまり、誰もが日常的に経験し、感じ、考えている、ごく当たり前の意識の出発点から始めるべきだということです。著者はこの共通の出発点から、読者の手をしっかりと握り、一歩一歩、まるで山を登るように、可能な限り高く読者を導いていくべきです。このアプローチは、哲学者であるイマヌエル・カントが「まったく身近な意識から出発」から始めていることが、良い例として挙げられています。

 

これに対して、以下の3点から出発点とすることは、ショーペンハウエルは批判的に考えています。

 

①超自然的な事柄や過程に関する「知的直観」を出発点とすること

「通常の感覚や論理を超えた、特別な認識能力を使って、神や霊魂、あるいは奇跡のような超自然的な事柄や、それらが起こる過程を直接的に把握する」というような能力を、哲学の議論の前提にすること。

 

②超感性的なもの(感覚を超えたもの)を聞き取る「理性」を出発点とすること

「超感性的なもの」とは、五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)では感じることができない、あるいは科学的な計測器でも捉えられないような領域の存在や真理を指します。そのように知覚したり、計測することができないものを感じる、特別な能力をもつ「理性」があるとして、そのような「理性」が、「超感性的なもの」の声を直接「聞き取る」ことができるという前提で、哲学の議論を始めること。

 

③それ自体を思考する「絶対的理性」を出発点とすること

「絶対的理性」とは、人間の個々の理性や、特定の経験に縛られない、それ自体で真理を認識し、思考し、時には世界を構築するともされる究極的な理性のような概念です。このような「絶対的理性」の視点に立って、そこから世界や存在の本質を論じ始めること。例えば、冒頭で「絶対的理性は、それ自身の内で自己を思惟することにより、この宇宙の究極的な構造と、その存在の必然性を理解する」というように、ふつう生活のなかで馴染みのない、極めて抽象的な概念を唐突に提示するだと予想されます。

 

これらの箇所から出発することが、どうしていけないのか?それは、著者がいきなり特殊な、読者と共有されていない認識の立場から語り始めてしまうためです。そうなってしまうと、読者は著者の言っていることが理解できず、最初から置いてきぼりにされてしまうためです。

 

哲学書を書く際には、読者との間に共通の理解の基盤をつくって、そこから段階的に、だれもが納得できる形で議論を進める必要がある。読者への配慮と、論理的な説得の重要性を説いています。

 

日常生活に応用できること

なにかを説明するとき、説明をする相手がすでに知っていることや、日常的に経験していることから話を始め、身近な例や比喩を使って、だれもが理解できる「ごく当たり前の意識」のレベルからスタートします。そうすることで、説明をする相手は「説明者のそばに立っている」感覚で、安心して学びを進めることができると考えます。逆に、専門用語や業界用語を連発したり、相手の知識レベルをはるかに超える高度な理論や概念から説明を始めることは避ける必要があります。そうしないと、説明する相手を混乱させ、学ぶ意欲を低下させてしまいます。

 

人とコミュニケーションをとるとき、具体的には、相手の悩みをを聞くようなとき、相手の具体的な状況、感情、過去の経験を丁寧に聞き、相手が置かれている現実の経験的意識に寄り添うことから始める必要があります。共感と自身の経験を交えながら、相手が「共有できる立場」にいることを示し、そこから、いっしょに解決策を考えていく姿勢が必要だと考えます。逆に、相手の状況をじゅうぶんに聞かずに、いきなり「人間はこうあるべきだ」「それが普遍的な真理だ」といった、個人的な信念や抽象的な理想論、あるいは特定の思想から断定的なアドバイスをしてしまうと、自分自身の状況とはかけ離れていると感じ、納得感が得られません。