日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

存在の根源を問う

『知性について』ショーペンハウエル著,細谷貞雄訳.岩波文庫

P.9哲学とその方法について

 

われわれのあらゆる認識と科学とがその上に乗って支えられている基礎は、説明不可能なものである。だから、いかなる説明も、多かれ少なかれいくつかの 中間項目を通ってさかのぼりながら、結局はこの説明不可能なものにゆきつくわけである。それはちょうど、海上で深さを測るために垂れる鉛がところによって深さの違いこそあれ、結局はいたるところで海底にとどくのと同様である。この説明不可能なものが、すなわち形而上学けいじじょうがくの本領なのである。

知識や科学の根本には、これ以上説明できない「何か」があります。まるで海で深さを測るおもり(鉛)が、どこで測っても最終的には海底にたどり着くように、どんなに複雑な説明も、突き詰めればその「説明不可能なもの」に行き着きます。そしてその「説明不可能なもの」こそが、哲学の一分野である形而上学けいじじょうがくが扱う本質的な領域です。

 

形而上学けいじじょうがくが扱う本質的な領域」とは、世界を理解しようとするときに、これ以上分解したり、他のものに還元したりできないような、根本的な問いや概念を指します。つまり「どうして?」と、一番深いところまで考えることが、本質的な領域だということを示しています。

 

例えば、道端にころがっている石ころがあると、「この石ころは何でできているのか?」とか、「どうしてここに、この石があるのか?」と考えてみます。科学は、その石が花崗岩かこうがんでできているとか、何万年まえに作られたものです…と教えてくれます。

 

形而上学はもっと深く思考をめぐらせ、「そもそも、この石が『ある』ってどういうことなのか?」とか、「『時間』とは何なのか?」「この石は『変化』しているのか、それとも『同じもの』であり続けているのか?」というように、当たり前だと思っていることの、一番最初の「どうして?」を考える学問です。形而上学けいじじょうがくは、経験や観察だけでは答えの出ない、より本質的な問いを探求します。

 

家の一番下にある、見えないけれど、家全体を支えている「基礎」みたいなものが形而上学けいじじょうがくです。科学はその基礎の上に建っている家の中を詳しく見ていくけれども、形而上学けいじじょうがくはその「基礎」そのものがどうなっているのかを考える学問です。

 

だから、形而上学けいじじょうがくでは、すぐに答えが見つからず、ときに深遠で、一見すると実用性に乏しいと感じます。しかし、そうした問いを深く考察することによって、世界の捉え方や、自分自身の認識の枠組みを根底から問い直し、より深い理解へと到達しようとします。そのように形而上学けいじじょうがく的に考えることが、科学の基礎を支え、人間の世界観を形作る、知的探求の最も根源的な営みだと考えられます。