熊本山は、現在の高炉台公園の場所にかつて存在した公園の名称でした。戦後復興事業の一環として、昭和26年(1951年)に八幡製鉄所のそばにあった熊本山公園が総合公園として整備されることになり、その際に公園名が高炉台公園と改称されました。高炉台公園は、日本の近代化・殖産興業の象徴である八幡製鉄所をイメージした公園として整備され、八幡市政40周年の昭和32年(1957年)にリニューアルオープンしています。
高炉台公園のいっかくに、熊本山の名前が刻まれている碑があることを知り、訪ねました。
場所:福岡県北九州市八幡東区中央
座標値:33.865962,130.814342
熊本山の碑が立つ場所は、開けた見晴らしの良い高台です。正面には「史蹟 熊本山」と刻まれています。
碑にむかって右側面には、昭和九年(1934年)の文字がみえます。
熊本山には伝説的な由来も伝えられています。諏訪明神に仕えていた女狐「おくま」が名護屋明神へお使いに行った帰りに力尽きて倒れ、村人によっておいなりさんとして祀られた場所が「おくま山」と呼ばれるようになり、それが現在の「熊本山」になったそうです参照。
こちらの熊本地蔵は、『北九州市まちかど探検』の情報を参照して、訪れました。
場所:福岡県北九州市八幡東区山王
座標値:33.867755,130.813586
熊本地蔵が祀られているのは、静かな住宅街の細い坂道の途中です。階段を登りきった左手側にあり、緑に覆われて、隠されるように祀られています。
お堂の中を拝見すると、中央に合掌している坐像、その両脇に別の像、そして手前にはお顔(頭部)だけの石仏が二体安置されています。
複数の石仏が一緒に祀られている様子をみると、地域の人々が様々な願いや供養のために、古くなった石仏や破損した石仏を持ち寄って、一つの場所に大切にお祀りするようになったのかもしれません。お茶やお酒など、いろんなお供え物が綺麗に並べられています。いまでも地域の方々が定期的にお参りし、お世話を続けているのでしょう。
祠の奥、地蔵様に向かって右側の壁に、文字が刻まれた古い木製の板が掛けられています。風化が進んでいるのと、崩し字のために、写真から文字を判読することができませんでした。
おそらく、この木製板は奉納額と思われます。「熊本□□地蔵尊」という文字がかろうじて確認できるために、もしかしたら、お地蔵様の名前の由来や建立された年月日などが記されているのかもしれません。もしこの文字が解読できれば、熊本地蔵が祀られるようになったきっかけがわかるかもしれません。