城野一丁目に「庚申」とだけ刻まれたシンプルな庚申塔がまつられていました。
場所:福岡県北九州市小倉南区城野
座標値:33.856265,130.885922
石の模様の具合から、変成岩の一種である片麻岩とよばれる石でつくられているように見えます。地質図naviで確認すると、城野一帯の地質は堆積岩で構成されており、変成岩は城野一帯ではみられません。この庚申塔は別の地域からもってこられたか、別の地域から持ってきた石でつくられたか…。
この城野一丁目の庚申塔がある場所は、かつては衛戍刑務所があり、後に城野医療刑務所となりました。現在はこの医療刑務所もなくなり、商業施設やマンションが並んでいます。
刑務所の変遷図によると、小倉の刑務所は1922年(大正11年)に小倉南区城野へ移転し、小倉刑務所となり、1923年(大正12年)には小倉衛戍刑務所、1924年(大正13年)に小倉刑務支所、1946年(昭和21年)に北方刑務所、1952年(昭和27年)には城野医療刑務所と改称されています参照:PDF。旧城野医療刑務所の跡地については、弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡である城野遺跡が発掘されました参照:PDF。方形周溝墓や玉作り工房跡などが発見されました。その遺跡の一部が史跡広場として、現在、活用されています。
方形周溝墓は、主に日本の弥生時代後期から古墳時代にかけて作られたお墓の一種で、四角い(方形)形をしていて、その周りに溝(周溝)が掘られているお墓のことです。城野遺跡で見つかった方形周溝墓は、九州地方の中でも最大級の大きさであり、弥生時代の「クニ」(小さな地域国家のようなもの)がどのような様子だったのかを知る上で、とても重要な遺跡だと考えられています。