北九州市史(民俗)P.585‐586に、小森江の小森江観音が紹介されています。
門司区小森江羽山二丁目五にあり聖観世音菩薩(十一面子安観音)をまつっている。以前は観音町(現羽山一丁目五)にあったが、戦時中強制疎開で現在地に移された。住居表示変更で無くなったがお堂のあったところから観音町の町名が残されていた。
この観音様の起こりは、南北朝時代(1336‐1392)、足利尊氏の子直冬が戦勝祈願のため、僧恵心作の延暦寺の持念仏*1を本尊として小森江に安置したことに由来するといわれる。
子宝が欲しい人は底のある袋を、欲しくない人は底の無い袋をあげると効果てきめんとお参りする人が多かった。毎月十七日にお祭りをしている。
現在、どこに聖観世音菩薩がまつられているのか、情報はみつかりません。 もとあった場所が「観音町」と呼ばれていたほどですから、移転先でもその観音様が地域にとって重要な存在であったことが想像できます。
小森江観音は、北九州市史によると、子安観音的なご利益をもっているようですが、聖観世音菩薩は、もともと、どのようなご利益をもった菩薩さまなのでしょうか?
聖観世音菩薩は、世の中の人々の声(音)を観じ、苦しみの中から救い出してくださる深い慈悲の心をお持ちであるとされています。そのため、病気平癒や身体健全といった健康に関する願い、災難や事故からの守護、そして日々の生活における様々な困難や苦悩からの解放を求める人々に篤く信仰されています。
また、人々の現世における具体的な願い事、例えば家内安全、商売繁盛、学業成就、良縁成就などにも耳を傾け、その願いが成就するようお力添えをくださると言われています。さらに、心の安らぎや精神的な導きを与え、私たちを穏やかな境地へと導いてくださるともされています。
門司区北川町16‐21に、羽山神社が鎮座しています。
もしかしたら、この神社近辺、に聖観世音菩薩がまつられている場所があるかもしれません。住宅街の一角にある個人宅の敷地内や、地域の方々が管理する小さなお堂にある可能性も考えられます。
足利直冬が、九州へきたという歴史的な事実はあるのでしょうか?調べてみると、たしかにあるようです。室町幕府初期の内部抗争である「観応の擾乱」(1350年~1352年頃)で、養父である足利直義方に属し、実父である足利尊氏と対立しました。この政争と軍事的対立の中で、直冬は勢力拡大と再起を図るため九州へ下向しました。
小森江観音が祀られている可能性として高い場所は、↑上図の赤で囲んだ場所だと予想されます。Googleマップのストリートビューで確認しても、それらしきものは見つけることができませんでした。
*1:個人が常に身近に置いて、日々礼拝や供養を行う仏像のこと