日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

「不確実さに耐える力」沖縄の民俗医療とネガティブ・ケイパビリティ

精神科医の帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)氏の著書『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』と、文化人類学者の東資子(あずまもとこ)氏の著書『治癒と物語』は、一見すると異なる分野を扱っているように見えますが、どちらも「不確実な状況にどう向き合うか」という根源的な問いを扱っているという点で共通しています。『ネガティブ・ケイパビリティ』では、不確実な状況に耐え、性急に結論を求めないことの重要性が説かれています。一方、『治癒と物語』では、沖縄の民俗医療において、病気の原因や治療法が不確実な状況の中で、人々がどのように心の安定を保ち、治癒を目指してきたのかが具体的に描かれています。二つの著書は、不確実さを排除しようとせず、受け入れること、そして、その中で、自分なりの意味や物語を見出していくことの重要性を示してくれています。

 

将来への不安、健康への不安、人間関係への不安…  生きていく限り、様々な不安が湧いてきます。脳の「扁桃体」と呼ばれる部位では、危険を察知すると、不安や恐怖といった感情を生み出すことがわかっています*1。これは、ヒトが進化の過程で、危険から身を守るために獲得した能力です。つまり、不安を感じることで、危険を回避し、生き延びる確率を高めてきたと考えられます。しかし、過度な不安は、心身の健康を蝕み、日常生活に支障をきたすこともあります。そのために、不安とうまく付き合いながら、心の健康を保っていく必要があると考えられます。

 

不確実さに耐える力「ネガティブ・ケイパビリティ」

どのようにして、多くの不安のなかで、心の健康を保っていけばよいのでしょうか?そのひとつの手法となるのが、「ネガティブ・ケイパビリティ(Negative capability)」という考え方です。これは、イギリスの詩人ジョン・キーツが提唱した概念で、「不確実な状況に耐え、性急な結論を求めない力」と定義されます*2。現在、多くの物事が合理的に説明され、効率的に解決することが求められる傾向にあります。しかし、人生には、科学では解明できないことや、すぐに答えの出ない問題もたくさん存在します。ネガティブ・ケイパビリティとは、そのような不確実な状況を受け入れ、白黒はっきりさせようとせず、曖昧な状態に身を置くことを許容する力です。一見消極的な態度のようにも思えますが、深い思考や創造性を育む上で非常に重要な能力であると考えられます。不確実さに耐えることで、新たな視点や可能性に目を向け、より柔軟な思考を身につけることができます。また、曖昧な状態を受け入れることで、心の安定を保ち、ストレスを軽減できる可能性もあると考えられます。

 

沖縄の民俗医療に学ぶ

書籍『治癒と物語』(東資子)と、書籍『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生)を拝読していると、民俗医療と精神医療とで分野は異なりますが、本質は同じことを行っているのではないかという印象を持ちました。沖縄では、古くからユタやムヌスーと呼ばれる民間巫者(ふしゃ)が、人々の健康相談や病気治療にあたってきました。彼らの治療法は、現代医学とは異なり、霊的な力や自然の力を利用したものが中心です。沖縄の民俗医療では、病気を単なる身体の不調として捉えるのではなく、心の状態や社会的な関係性とも関連づけて考えます。そして、病気の原因を探求し、それを解決するための物語を紡いでいくことを重視します。このプロセスにおいて、ネガティブ・ケイパビリティは重要な役割を果たしていると考えられます。

 

治癒と物語』(東資子)、『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生)を参照しながら、沖縄の民俗医療について、病いの捉え方や治癒の概念、ユタやムヌスーといった 宗教的職能者(霊媒師)は、どのような役割を担っているのか?ネガティブ・ケイパビリティとは何か?それが沖縄の民俗医療とどう関連しているのか?…ということについて、以下に記していきたいと思います。

 

 

沖縄の民俗医療

沖縄は、美しい自然と独特の文化を持つ島々ですが、ここには、古くから伝わる民俗医療があります。沖縄本島と先島諸島*3では、それぞれ独自の民俗医療の体系が発展してきました。地理的に離れていることから、歴史や文化、風土の違いが、それぞれの医療体系にも影響を与えていると考えられています。沖縄本島では、ユタと呼ばれる民間霊媒師(シャーマン)*4が、人々の健康相談や病気治療にあたってきました。ユタは、神々や霊的な存在と交信する能力を持つとされ、その力を通して、病気の原因を突き止め、治療法を授けると信じられています。ユタは、病気の原因を、祖先の霊の祟りや、悪霊の憑依、あるいは社会的な関係性における問題など、目に見えない世界の事柄と関連づけることが多いようです。そして、祈祷や儀礼を通して、それらの問題を解決することで、病気を癒すと考えられています。

 

先島諸島の民俗医療

一方、先島諸島では、ムヌスー(物知り)と呼ばれる民間治療師が活躍してきました。ムヌスーは、ユタと同様に、霊的な力を使って病気を診断し、治療を行う存在ですが、その役割や方法はユタとは異なります。ムヌスーは、病気の原因を、個人の行動や社会的な関係性、あるいは自然環境との関わりなど、より現実的な事柄と結びつけて考える傾向があります。ムヌスーは卜占(ぼくせん)*5の専門家であり、問題に対応するために個人の家のニガイ*6を行ないます。広義には祭祀や治療に携わる専門家たち全般を指し、彼らはみな何らかの形で「カミサマからの知らせを受けている」と考えられています。「ムヌスーは主に外科的な治療にあたるヤブーと宗教的な専門家に分けられ、後者はさらに個人の家に行って儀礼を行なうニガインマ(ニガイを行なう女性)とト占ができるムヌスー(アカス〔明かす〕ムヌスー)とに分けることができます。最近ではト占をするムヌスーを沖縄本島で使われる名称である「ユタ」と呼ぶ人も多いといいます*7

 

病いの捉え方

沖縄の民俗医療では、病気を単なる身体の不調として捉えるのではなく、心の状態や社会的な関係性とも関連づけて考えます。例えば、誰かと喧嘩をして怒りがこみ上げていたり、あるいは大切な人を亡くして悲しみに暮れていたりする場合、そのような心の状態が身体の不調として現れることがあると考えられています。また、社会的な関係性において、周囲の人々との調和が乱れたり、あるいは自分の役割や立場に葛藤を抱いたりする場合も、それが病気の原因となることがあると考えられています。

 

ユタとムヌスーの役割

ユタやムヌスーは、単なる治療者としての役割だけでなく、地域社会の精神的な支柱としての役割も担っています。彼らは、人々の悩みや不安に耳を傾け、助言を与え、心の安定を保つためのサポートを行います。また、ユタやムヌスーは、地域社会の伝統や文化を継承する役割も担っています。ユタやムヌスーは、儀礼や祭祀を通して、地域の人々に伝統的な価値観や生活習慣を伝え、地域社会の結束を高めることに貢献しています。このように、沖縄の民俗医療は、単なる病気治療だけでなく、人々の心のケアや社会的な結束の維持にも深く関わっていると考えられます。

 

民俗医療における「治る」ということ

沖縄の民俗医療では、「治癒」は単に身体的な症状が消失することだけを意味するわけではありません。病いを引き起こした原因を理解し、それを解決するための物語を完結させることに重きが置かれています。西洋医学では、病気の原因を特定し、それを排除することで治癒を目指します。例えば、細菌感染が原因で発熱している場合は、抗生物質を投与して細菌を殺すことで解熱を目指します。一方、沖縄の民俗医療では、病気の原因は目に見えない世界の事柄、例えば、祖先の霊の祟りや、悪霊の憑依、社会的な関係性における問題など、と捉えられることが多いです。ユタやムヌスーは、それぞれの方法で、その原因を探り、依頼者に伝えます。そして、依頼者はその情報に基づき、自分自身の病いの物語を理解し、受け入れていきます。このことを『治癒と物語』では、「物語を紡ぐ」と表現されています。

 

物語の完結がもたらすもの

病いの物語が完結すると、たとえ身体的な症状が完全には消失していなくても、心は落ち着きを取り戻し、病気と折り合いをつけることができるようになります。これは、原因不明の不安や苦痛から解放され、自分の人生を再び主体的に歩んでいくことができるようになることを意味します。つまり、沖縄の民俗医療における「治癒」とは、身体的な回復だけでなく、精神的な安定や社会的な調和を取り戻すことを含めた、 総体的な概念だと考えられます。

 

物語と儀礼、プラセボ

沖縄の民俗医療では、儀礼も重要な役割を果たします。儀礼は、病いの原因となった目に見えない世界の事柄に働きかけ、問題を解決するための手段として行われます。儀礼を通して、人は自分自身の病いの物語を具体的に体験し、感情を解放し、そして次へ進んでいく力を得ることができると考えられます。儀礼は、単なる形式的な行為ではなく、人の心に深く働きかけ、治癒を促進する力を持っていると考えられています。

 

ここで、興味深いのは、プラセボ効果との関連性です。プラセボ効果とは、偽薬を投与されたにもかかわらず、患者の期待や信念によって症状が改善する現象です。沖縄の民俗医療における儀礼もまた、プラセボ効果と同様に、患者の心理的な側面に働きかけることで、治癒を促進している可能性が考えられます。儀礼に参加することで、患者は「自分は良くなる」という期待感や安心感を持つことができます。また、ユタやムヌスーとの信頼関係を築くことで、精神的な安定を得ることもできると考えられます。これらの心理的な変化が、免疫力の向上や自己治癒力の活性化に繋がり、身体的な症状の改善にも繋がると考えられます。蛇足ですが、内科の領域だけでなく、外科の領域でもプラセボ効果は発揮されているといいます*8

 

 現代社会への示唆

現代社会においても、病気の原因が必ずしも明確に特定できるわけではありません。また、ストレスや不安など、心身の不調を抱える人が多くいます。沖縄の民俗医療の治癒概念は、私たちに病気に対する新たな視点を提供してくれるように感じます。病気を単なる身体の不調として捉えるのではなく、心の状態や社会的な関係性とも関連づけて考え、自分自身の病いの物語を理解し、受け入れることは、心の健康を取り戻す上で大切な意味を持つと考えられます。

 

ネガティブ・ケイパビリティとは?

「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉は、イギリスのロマン派詩人、ジョン・キーツが初めて使ったとされています。キーツ氏は、この能力を「不確実さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めない態度」と表現しました。簡単に言えば、白黒はっきりつけずに、モヤモヤした状態に耐える力のことです。現代、多くの物事を合理的に説明し、効率的に解決しようとすることが求められます*9。しかし、ふだんの生活を送っていくと、論理的に説明できないことや、すぐに答えの出ない問題もたくさんでてきます。そのような時、つい、不安や焦りを感じて、無理やりにでも答えを見つけ出そうとしてしまいがちです。しかし、キーツは、真の理解や創造性を得るためには、そのような性急な判断を避け、不確実な状態に身を置くことが重要だと考えました。

 

 

ネガティブ・ケイパビリティの具体的な事例

ネガティブ・ケイパビリティは、様々な場面で発揮されます。

 

例えば…

「芸術鑑賞」

初めて見る現代アート作品の意味がわからなくても、すぐに解釈をしようとせず、じっくりと作品と向き合い、湧き上がる感情やイメージを受け入れる。


「人間関係」

相手の言動が理解できなくても、頭ごなしに否定したり、決めつけたりせず、まずは相手の立場に立って、その背景や意図を想像してみる。


「仕事」

仕事の進行がうまくいかず、先が見えなくても、諦めたり、焦ったりせず、状況を冷静に分析し、様々な可能性を検討する。


これらのような場面で、ネガティブ・ケイパビリティを考慮した行動をすることで、より深い理解や共感を得たり、新たな発想や創造性を生み出したりすることができるようになると考えられます。

 

 

ネガティブ・ケイパビリティを阻むもの

現代社会では、情報過多やスピード重視の風潮など、ネガティブ・ケイパビリティを阻む要因が多く存在します。私たちは、常に大量の情報に晒され、瞬時に判断し、行動することが求められます。また、インターネットやSNSの発達により、いつでもどこでも情報にアクセスできるようになり、常に「答え」を求めてしまう傾向が強まっています*10。このような状況下では、立ち止まって考えたり、じっくりと物事と向き合ったりする時間を持つことが難しくなりがちです。しかし、だからこそ、ネガティブ・ケイパビリティは、日常生活のなかで、ますます重要になってくる能力と考えられます。

 

民俗医療に含まれる「不確実さに耐える力」

沖縄の民俗医療では、病いの原因を探求し、物語を紡いでいく過程において、ネガティブ・ケイパビリティが重要な役割を果たしていると考えられます。ユタやムヌスーは、霊視や占いなどの手法を用いて、病いの原因を探りますが、その過程は必ずしもスムーズではありません。場合によっては、原因がはっきりとわからない場合や、複数の原因が複雑に絡み合っている場合もあります。しかし、ユタやムヌスーは安易に結論を出したり、原因を特定することに固執したりはしません。むしろ、不確実な状況を受け入れ、様々な可能性を検討しながら、じっくりと原因を探求していくことを重視します。

 

曖昧な状態を受け入れる

例えば、ユタが神々や祖先の霊と交信する際、必ずしも明確なメッセージを受け取れるとは限りません。時には、断片的な情報や象徴的なイメージを受け取ることしかできない場合もあります。しかし、ユタはそれらを否定したり、無視したりせず、曖昧な状態のまま受け止め、解釈を試みます。ムヌスーもまた、占いの結果が曖昧であったり、解釈が難しい場合でも、性急に判断を下すことはしません。依頼者との対話を通して、様々な情報を収集し、状況を多角的に分析しながら、最適な解決策を探っていきます。

 

物語を紡ぐ力

ユタやムヌスーは、このように不確実な状況に耐えながら、断片的な情報や曖昧なイメージを繋ぎ合わせ、病いの物語を紡いでいきます。この物語は、依頼者にとって、自身の病気を理解し、受け入れるための重要な手がかりとなります。また、物語を通して、依頼者は自分自身の内面と向き合い、心の奥底にある感情や葛藤を認識することができます。

 

ネガティブ・ケイパビリティがもたらすもの

沖縄の民俗医療において、ネガティブ・ケイパビリティは、単に不確実さに耐えるだけでなく、積極的に病いと向き合い、理解を深める力として機能しています。曖昧な状態を受け入れ、じっくりと原因を探求することで、より深いレベルで病気を理解し、総体的な治癒へと繋がる可能性が高まります。また、ネガティブ・ケイパビリティは、ユタやムヌスー自身の精神的な安定にも貢献していると考えられます。彼らは、常に人々の苦しみや死に直面する中で、ネガティブ・ケイパビリティによって、精神的なバランスを保ち、自らの使命を果たし続けることができるのではないかと考えられます。

 

 

日常生活のなかで「不確実さに耐える力」を育むためには?

日常生活を送っていくうえで、どのようにネガティブ・ケイパビリティを活かしていけばよいのか?

 

情報との距離感を意識する

スマートフォンやインターネットを通して、絶え間なく大量の情報に晒されます。しかし、すべての情報に即座に反応し、理解しようとすると、かえって心の安定を失ってしまう可能性があります。

 

スマートフォンを触る時間を制限する
情報源を厳選する
自分にとって本当に必要な情報だけを選択する


など、意識的に情報との付き合い方を見直してみることが考えられます。

 

曖昧さを許容する

物事を白黒はっきりさせたがる傾向は、心理学用語で「白黒思考」と呼ばれ、認知のゆがみや考え方のクセの一種です*11。しかし、現実には、簡単に答えの出ない問題や、解釈の難しい状況も数多く存在します。曖昧な状態をそのまま受け入れることは、簡単ではありませんが、無理に答えを見つけようとせず、モヤモヤした状態に身を置くことも必要だと認識する。曖昧さを受け入れ許容することで、視野が広がる可能性もあります。

 

立ち止まって考える時間を作る

常に時間に追われていると、じっくりと考えたり、自分自身と向き合ったりする余裕がなくなってしまいます。ネガティブ・ケイパビリティを育むためには、立ち止まって考える時間を意識的に作ることが大切だと考えられます。

 

マインドフルネス瞑想を行なう、自然の中で過ごす、読書をする、日記を書く、あえて何も予定を入れない日をつくるなど、心を落ち着かせる時間を持つことで、自分自身の内面に意識を向けることができると考えます。

 

リアルな他者との会話を持つ

面と向かう他者との会話は…特に異なる価値観や考え方を持つ人と交流することで、自分自身の視野を広げ、多様な視点を持つことができると考えられます。また、相手の話をじっくりと聞き、共感しようと努めることで、不確実な状況に対する耐性を身につけることができると考えられます。

 

芸術に触れる

芸術作品は、必ずしも明確な意味やメッセージを持っているとは限りません。しかし、だからこそ、芸術作品は私たちの想像力を刺激し、多様な解釈や感情を引き出してくれます。簡単なことではありませんが、絵画、音楽、文学、演劇など、様々な芸術作品に触れることで、私たちは曖昧な状態を受け入れる力を養うことができると考えられます。

 

美術館で、ひとつの絵や彫刻を前にしたときの感動も、大人が関心を持っていなければ、子供が感動を覚えるはずがありません。まして、音楽や美術には、問題設定もその解決もありません。むしろ、解決できない宙ぶらりんの状態で、その芸術家が何とかして自分なりの仮の解答をさし出したのが芸術だからです。芸術には、問題解決という課題が課せられていないので、学習がまだその本質を失っていません。見た者、聞いた者は、何かを感じ、生の喜びを実感します。人生の無限の深さに感動するのかもしれません。(『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』Kindle位置.2,344)

 

自然と触れ合う

自然は、私たちに偉大さや神秘さを感じさせてくれます。自然の中で過ごすことで、私たちは日常の些細な悩みや不安から解放され、大きな視点で物事を捉えることができるようになります。また、自然のリズムに身を委ねることで、心の安定を取り戻し、不確実な状況にも柔軟に対応できる力を身につけることができるかもしれません。

 

ゆっくりと過ごすことを意識する

急いで結論を出したり、結果を求めたりするのではなく、プロセスを楽しむことを心がけ、焦らず、ゆっくりと物事と向き合うことで、より深い理解や創造性を得ることができるかもしれません。

 

 

◆◆◆◆◆

私は、帚木蓬生氏の『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』を読んでいたとき、東資子氏の『治癒と物語』の内容を思い出していました。二つの本は、心理学、文化人類学…と、一見すると全く異なるテーマを扱っているようですが、読み進めるうちに、感覚的に共通な部分があるように思えました。「不確実な状況にどう向き合うか」という、根源的な問いを扱っているという点です。『ネガティブ・ケイパビリティ』では、不確実な状況に耐え、性急な結論を求めないことの重要性が説かれています。一方、『治癒と物語』では、沖縄の民俗医療において、病気の原因や治療法が不確実な状況の中で、人々がどのように心の安定を保ち、治癒を目指してきたのかが具体的に描かれています。不確実さを排除しようとせず、受け入れること。そして、その中で、自分なりの意味や物語を見出していくこと。2冊の本は、人間が不確実な状況を乗り越えるための普遍的な知恵を示してくれているように思えます。

*1:

感情の中枢である扁桃体におけるドーパミンの役割を解明 - 量子科学技術研究開発機構

*2:ネガティブ・ケイパビリティ - Wikipedia

*3:日本の南西諸島に属する琉球諸島のうち、南西部に位置する宮古列島・八重山列島の総称である。尖閣諸島を含めることもある。

*4:ユタ - Wikipedia

*5:うらなうこと。未来を予測したり、隠された事柄を明らかにしたりするために、象徴的な解釈などを用いる行為です。

*6:「願い」祈りのこと。

*7:『治癒と物語』P.57,58

*8:『ネガティブ・ケイパビリティ』Kindle位置1536。1950年代に狭心症の患者に行われた内胸動脈結紮術で、胸のなかを流れている内胸動脈を縛ることで、迂回路として心臓の冠動脈に行く血管が増して、狭心症が改善するという仮説が立てられた。実際に手術でその動脈を結紮すると、91%が改善、64%は治癒したと報告され、手術は一躍ブームになった。しかし、その後、 別の外科医が13名には本物の手術をし、5名には動脈結紮だけはしないで、その他は何から何までそっくりに行なう手術をして、結果を比較した。すると本物の手術をした13名中10名が改善、残り3名が治癒した。他方、ニセの手術を受けた5名中、3名は改善、2名は治癒していた。つまり差がなかった。

*9:ネガティブ・ケイパビリティーなき企業は組織も人もつぶす、「急がば回れ力」を育てよ | 日経クロステック(xTECH)

*10:ネガティブ・ケイパビリティとは?その意味と現代社会での重要性を解説 - あしたメディア by BIGLOBE

*11:発達障害で白黒思考が強い人の困り事と改善法 | 東京都八王子市の放課後等デイサービス こどもプラス天神町教室