地質図を眺めていて、福岡県宗像(むなかた)市の西部…隣の遠賀郡岡垣町との境目に、気になる地形をみつけました。宗像市と遠賀郡との境には、湯川山・弘大寺山・白山という標高300m〜400mほどの山々がつらなっています。これらの山々は北北西から南南東にかけてつらなっています。
その山々を両側から挟むようなかたちで、活断層ではない、古い断層が走っています。下図をご参照ください。そして宗像市の山田という地区においては、断層を境目として東西ではっきりと地質が分かれています。
上図の下段は山田地区にある地蔵尊付近を拡大して表示しています。断層より左側(西側)は黄色、右側(東側)は赤色で着色されています。黄色は堆積岩、赤色は火成岩を示しています。
下図は、湯川山・弘大寺山・白山の山々と断層がわかりやすく見える、色別標高図を合成したものです。断層に挟まれた地域が高くなっている様子がわかります。断層のズレにより隆起した部分が山となったのではないかと考えます。
山の西側では「縦ずれ断層の正断層」ができたと考えられ、東西にひっぱる力が加わり、隆起し山ができたのではないかと考えます。
もう一度、山田地蔵尊付近の地質図を下に示します。
地図内の①地点で、北を向いて撮った写真が下です。やや右側(東側)のほうが高くなっていることがわかります。
②地点で北東を向いて撮った写真です↓
おそらく、このため池がある地域は砂岩や泥岩などの堆積岩で地盤がつくられており、向こう側の山は花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)などの火成岩で地盤がつくられていると考えられます。
下の写真は③地点で南を向いて撮った写真です。北側よりもはっきりとした高低差はみられませんが、断層よりも西側(下写真でいうと右側)が谷となっていることがわかります。
下の写真は地点(33.831438,130.566215)に建てられている、「山田夫人の碑」です。堆積岩で地盤がつくられている地区に建てられています。碑の素材を見てみると、いくつもの鉱物が混ざってできている火成岩という感じではありません。粒子が細かく、泥などが押し固められてつくられた堆積岩という見た目をしています。泥岩でしょうか。
石碑には「安永丁酉冬十二月」の文字が刻まれています。丁酉(ひのととり)の干支である安永の年は、安永六年で西暦1777年です。わざわざ、他地域からこんなに大きな岩を運んできたと考えにくく、地の岩石である堆積岩(おそらく泥岩)でつくられているのではないかと考えます。