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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

水不足がダムがつくられたことで解消されたことを記念する碑 福岡県直方市下境

福岡県直方市(のおがたし)の下境という地区に、「通水碑」と刻まれた記念碑がたっています。「通水」ということは、どこかから水が引かれたため、それを記念したものだと考えられますが、どこからどこへ水が引かれたのでしょう?

場所:福岡県直方市下境

座標値:33.742657,130.757875

記念碑の裏側には、びっしりと文字が刻まれています。

その文字を以下に引用します。刻まれている文字は読みにくくなっているので一部誤っている可能性はあります。

 

五風十雨は望むべく求め難いが常である下境地区裏田大谷方面の水田は当地の水量少い爲僅かの旱天にて忽ち水源涸渇の状態におかれて居たのであるが先年内ヶ磯大貯水池建設の完了せらるゝや是を好機として県市当局に或は他地区に折衝し折に分水路をつくり其の水を添田石量高山田の当池に導入することを得た是に依つて地区内水田と安泰を得られる□□□□□□の□修に依り営□立□地域の水田化□予約されることを想えば当分水路□□す地区民の幸福と発展に及ぼす影響は極めて大なるものがある依って茲に碑を建て後の世の識とする

 

昭和三十四年九月廿四日 須賀神社宮司

 

この内容をざっくりと要約してみると以下のようになります。

 

下境地区の「裏田大谷」という場所は、よく水不足になっていた。そこで、内ヶ磯大貯水池を完成させ、県市当局や他の地区と協力して分水路を作り、水を導入することに成功した。これにより、地域の水田化が進み、地区民の幸福と発展に大きな影響を与えた。この出来事を後世に伝えるために碑が建てられた。

 

記念碑に刻まれた地名や貯水池名に該当する場所はあるのでしょうか?地図で確認してみます。いちばんはじめに見つけることができたのは、内ヶ磯というダムです。

下境という地区は内ヶ磯ダムの南西2㎞ほどの場所にひろがっています。下境の周りには、上境、永満寺、頓野などの地区がありますが、ここにはたくさんのため池がつくられています。そしてため池の周囲には水田がひろがっています。現在、水不足とは無縁となっている印象を受けます。

 

通水碑のある場所を地形図上に示します。内ヶ磯ダムから流れてきた水が、下境地区へと入る場所付近に建てられていることがわかります。

地形図に陰影起伏図を重ねてみます。通水碑が建っている場所も含め比較的標高の高い場所は果樹園や畑が広がっています。標高が低く川が流れている周辺や、小さなため池の周辺には田んぼが広がっていることがわかります。高低差で土地利用がはっきりとわかれています。