福岡県、築城基地(ついききち)関連の戦争遺跡である稲童地区地下通信司令部壕を訪ねました。空襲から築城海軍航空隊の情報通信機能を守るために、1945年(昭和20年)3月に建造された施設です。↓下の写真は壕の出入り口を写したものです。この「稲童地区の司令壕」のほかにも、稲童地区より南側にある築上町広末地区、八田地区などにも地下壕がつくられたそうです。
場所:福岡県行橋市稲童
座標値:33.689910,131.029857
このような地下壕をつくることで、空襲の危険があるなかでも安全で効率的な作戦を指揮することができたのでしょう。司令部壕は出入り口が二カ所で、他の施設と比較し小さいために、空からの視認が困難であったと考えられます。司令部壕は航空機を保管している掩体壕(えんたいごう)群エリアに含まれています。
攻撃されるリスクは高かったと予想されますが、外壁を見てみても機銃掃射の弾痕などは確認されませんでした。
この出入り口から伸びる階段で人が壕の中に入っていき、下の写真のような5つの部屋へと移動していきました(参照:案内板)。壕のなかには、発電するための「発電機壕」もあったため、これら5つの部屋のなかには、発電場所があり各部屋へ電力を供給していたことも考えられます。
写真を見る限りでは、空気を換気するための穴などはみられませんが、必要なときは扉を開放して空気の入れ替えをしていたのでしょうか。それにしても、地下水が流れこんで来ているようでもあり、写真からは湿度の高い淀んだ空気感が伝わってきます。劣悪な環境であったように見えます。
(規模)
全長(西~東入口) :36.7m
部屋の天井高:2.5m
部屋の幅:3.0m
東側出入口天井高 :1.8m
出入口幅:1.2m
階段部分天井高:1.7m
部屋数:5室 (天井部分はアーチ状となる)
構造:鉄筋コンクリート
※案内板参照