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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

どうしてカルスト台地の開拓が困難であったのか? 福岡県北九州市小倉南区平尾台

福岡県北九州市小倉南区に平尾台(ひらおだい)と呼ばれる地区があります。そしてここに、「平尾台開拓記念碑」が建立されています。

場所:福岡県北九州市小倉南区平尾台

座標値:33.757135,130.894851

 

碑の横には、この碑が建立されたいきさつが記述されています。碑文の内容を要約すると以下のようになります。

 

日本政府は、第二次世界大戦後の食糧難に対処する目的で、1947年(昭和22年)より平尾台を開拓する人々を受け入れました。平尾台はもともと軍用地で、これを戦災者、海外引揚者に払い下げました。

 

55世帯の方々が入植しましたが、開拓がうまくいかず、平尾台を下山する方々があいつぎました。結局、最後まで残った開拓者37名が開拓当時の苦労を回顧し、2005年(平成17年)に、この記念碑を建立しました。

 

参照:『北九州歴史散歩〔豊前編〕』P.164

 

この碑文を拝読して疑問がうかびます。

・どうして開拓が困難であったのか?

・開拓が困難であるのに、どうしてこの地を選んだのか?

・どんな作物が平尾台ではつくられているのか?

 

どうして開拓が困難であったのか?

カルスト地形について調べてみます。カルスト地形というのは、主に石灰岩でつくられた土地で、水に溶けやすい岩石で構成された土地なのだそうです参照。雨水や地下水など多くの水分によって溶かされた地形のことを「カルスト地形」と呼びます。

 

必ずしも石灰でつくられている地形を指すのではなく、石膏(せっこう)や岩塩、泥灰岩(でいかいがん)などの水に溶けやすい物質でつくられた土地も、カルスト地形と呼びます参照

平尾台 牡鹿鍾乳洞

平尾台の場合は、結晶質石灰岩で主にできています。

 

この石灰岩が開拓には不向きなのでしょうか?『PDF そばの風吹く草間カルスト台地のむらづくり』の2ページ目に…

 

農業は、保水力の低いカルスト台地のため水田が少なく、江戸時代から畑作が中心であった。

 

…とあり、保水力が低いという、カルスト地形の特徴が示されています。しかし、水田に不向きというだけで、畑作は可能であることがわかります。

 

そもそも、平尾台の風景を眺めてみると、硬い石灰岩が広がっていることが確認できます。下の写真は、その証拠の一端です。このような岩盤を崩して、畑作に適するような農地にするのは困難を極めると考えられます。

カルスト地形での畑作は、「ドリーネ耕作」と呼ばれる特殊な畑作が行なわれているようです。雨水で岩がとけたところにはすり鉢状の窪地(ドリーネ)ができ、この窪地で土が溜まった場所に畑を作るという方法を「ドリーネ耕作」と呼ぶようです。

 

参照:秋吉台の『ドリーネ耕作』

 

つまり、「カルスト地形では、窪地になっているところでは耕作はできるけれども、なかなか畑作に適している平地というのがない」ということを示していると想像されます。

 

平尾台にある平尾集落周辺の地形図を下に示してみます。今昔マップを参照しています。左側には1922年測図の地形図、右側には現在の地形図を示しています。

1922年は、まだ平尾台は日本軍の演習場として使用されていました。注目すべきところは、平尾の集落周辺に、たくさんの窪地(ドリーネ)が示されています。こんなにも土地の凸凹がひどかったのですね。

 

 

下の図は1955年(昭和30年)頃の平尾台集落の地形図です。1947年(昭和22年)に、軍から民間へと土地が売られました。このころから、市民が平尾台の開拓を開始しました。1922年の地形図と、1955年の地形図を比較してみます。しかし8年が経過しても戸数や集落の大きさはあまり変化していないように見えます。開拓に難渋していたことが想像されます。

カルスト台地は、保水力に乏しく水田に向かないそうです。Google mapの航空写真を見てみても、土地のほとんどが畑のようにみえます。たしかに実際に平尾の集落内を歩いてみると、畑と牧草地が広がっており、石灰岩の広がる荒涼とした土地を苦労して開拓したことが窺われます。


開拓が困難であるのに、どうしてこの地を選んだのか?

この理由を示した資料はみつかっていません。想像するしかありませんが…

 

・もともと軍用地であった土地が払い下げされた

・(前記の理由で)耕作としての条件が良くなかった

・標高300m~400mと交通の便が良くなかった

 

…などの理由で、平尾台が比較的安価な土地であったのではないかと想像されます。また、戦災に遭われた方々や、海外から引揚げてこられた方々は、そもそも住む場所が見つけにくかったのではないかと考えられます。

 

この想像を裏付けしてくれる資料を、今後も探してみようと思います。

 

 

どんな作物が平尾台ではつくられているのか?

大根・人参・ゴボウ・白菜・里芋・ジャガイモ・ほうれん草・カブのような、乾燥に強そうな作物が育てられているようです参照:新鮮食品館 ケンちゃんの村。石灰岩の多い平尾台の土壌では、炭酸カルシウムが多く含まれると考えられますPDF:参照。炭酸カルシウムは、酸性の土壌を中和し、カルシウム養分の供給源となります。開拓は非常に困難ではあるものの、平尾台には、自然の肥料が豊富にあるという感じでしょうか。

 

参照:PDF:BSI 生物科学研究所 「肥料施用学」 炭カル(炭酸カルシウム)