場所:福岡県北九州市八幡東区春の町
座標値:33.867271,130.803243
北九州市八幡東区にある「済生会 八幡総合病院」の近くに古いお墓が公道脇に残されています。とても珍しいことに、このお墓は、道に向いてたっているわけではなく、道に背をむけてたっています。
お墓は駐車場の前にたっているために、お墓の台座角部分にトラ柄のテープがはりつけられています。
どうして、このお墓は道路脇に、しかも背をむけて祀られているのでしょう?その理由が、お墓のそばに立てられている木製の案内板に紹介されています。
車道に背を向けた一基の墓が道路脇にあり、昔、虚無僧が行倒れ、その場所に弟子が墓を建立。
基碑には徳広与左衛門(戒名)が彫られていたと伝われています。
戒名は「釈〇〇信士霊」と読めます。
また、昔は半間の道路に面して墓が建っていましたが、戦後、墓の後ろにあった家々が買収され、道路が拡幅されました。
その際、墓の移転話が出たので、祀る人に観てもらったところ「移りたくない」とお告げがあったため、このように道路に背を向けたようになってしまいました。
この道路は昔、半間…約91㎝…つまり1m幅ほどの細い路地であり、そこでお坊さんが亡くなったということが記されています。戦前は細い道であったという、この道を今昔マップで確認してみます。
1922年の地図で、お墓のある場所をみてみます。赤丸で示した箇所がお墓のある場所です。比較のために、下側に現在の地形図も示しています。たしかに1922年の地図では、お墓がある場所は、現在よりも細い路地であったようです。済生会 八幡総合病院が建つ予定の場所には、読み取りにくい地図記号が記されています。病院ではありませんが、なんらかの大きな建物があったようです。
案内板によると、もともと、このお墓の正面側に細い路地が走っていたようです。だから、道路が新しくなる前は、ふつうにお墓は道路側から正面を拝める配置で祀られていました。そして戦後、道路が拡張されるとき、もともとの細い路地を利用するのではなく、細い路地とは少しずれた区画…おそらく北側に広い道路を敷いたのではないかと考えます。そのために、道路に背をむけた、不思議な配置でお墓がのこされているようです。下の写真だと、写真右下に見えるブロック塀のある場所に細い道が走っていたと考えられます。
お墓を正面側から拝見します↓
表面に刻まれている文字は、読み取りづらいです。凹凸が強調される加工をして示してみます↓ 「釈□□信□霊」という文字の左下にも小さく文字が刻まれています
もしかしたら、建立された年月が刻まれていたのかもしれませんが、もう私には読み取ることができません。
お墓の裏側には銘は確認できませんでした↓