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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

江戸期から残る景色?惣牟田(そうむた)地区 福岡県北九州市若松区小石

福岡県北九州市若松区小石に惣牟田(そうむた)という地区があります。惣牟田と呼ばれる地区には、周囲の町並みとは異質な景観がひろがっています。中世のころから、ほとんど変わっていないような、田園がひろがる景色です。

国土地理院地図の空中写真で、集落を確認してみます。石炭積出港として、かつて栄えた若松の町のとなりに、緑ゆたかな地区があります。その谷間に、棚田がひろがる農村地帯がみえます。ここが惣牟田地区です。

どうして、この地区のみ昔からの景観が残っているのか気になったため、惣牟田地区について、ざっくりと調べてみました。そうすると、景観がのこる直接的な理由はわかりませんが、高崎家一族が昔からこの地域に住まれていたことがわかりました。

 

今回の記事では、高崎家についてのメモを残しておきたいと思います。

 

 

播磨国から小石へ移り住んだ高崎家

惣牟田集落が含まれる小石という地区には、高崎喜右衛門(たかさき きえもん)と、その子孫がすんでいました。高崎家は、若松区小石本村で、庄屋役を代々つとめてきた家です(参照:PDF『北九州市の文化財を守る会会報 高崎氏屋宅備全図考』安倍芳一著,P.4)

 

高崎家は黒田官兵衛と同じ、播磨国(はりまのくに)出身です。播磨国は、現在でいうところの、兵庫県南西部にあたります参照。もともと関西にすんでいた高崎家が、どうして九州にうつり住んだのでしょう?

 

調べてみると、黒田考高…つまり黒田官兵衛…の”お咎め”が原因だったようです。天正期*1ごろ、黒田官兵衛により高崎氏が「咎め(勘気*2)」を受けたため豊前国の中津に高崎氏は移住しました(参照:PDF『北九州市若松区惣牟田集落の中世に関する調査報告』田上繁著,P.29)

 

資料では”天正期”となっていて時期が幅広いですが、その後の出来事から考えると、高崎氏がおそらく勘気をうけたのは1570年代ではないかと考えられます。どういう”お咎め”だったのかは詳しくはわかりません。

 

しかし1587年、黒田官兵衛が豊臣秀吉から12万石を与えられると、官兵衛がこんどは中津に移り住みました。官兵衛から追い出されるかたちで、高崎家は中津から出ていき、そして筑前国の小石村へと移り住んだようです。

筑前国の小石村は、福岡県北九州市若松区にあたる地域です参照。冒頭にご紹介した、惣牟田集落も小石地区のなかのひと地域です。

 

高崎家のご子孫が小石に残った

黒田長政が福岡藩を興(おこ)すと、高崎家では喜右衛門の長子が小石村に定住しました。高崎家の二男は小倉藩*3の家臣となりました。そして三男は小倉で「播磨屋」の商号を持つ商家となりました(参照:PDF『北九州市若松区惣牟田集落の中世に関する調査報告』田上繁著,P.29)。現在、若松区小石に名を残している高崎氏は、小石に定住した長子のご子孫ということになります。

高崎家の墓地はみあたらず

若松区小石本村という地区に、高崎家が営む庄屋がありました。そしてその近くに高崎家の墓地があるといいます。小石本村へ墓地を探しにいってみましたが、みつけることはできませんでした(参照:PDF『北九州市の文化財を守る会会報-高崎氏屋宅備全図考-安倍芳一著』P.4)。史料内に写真が示されているため、現在でも残っているとは考えられます。

 

江戸時代から残っている?惣牟田の棚田

高崎家の記録簿である『筑前国御牧郡内小石村水帳』(1602年)には、「すう牟田」という小字(こあざ)がつけられた田んぼがあるといいます(参照:PDF『北九州市若松区惣牟田集落の中世に関する調査報告』田上繁著,P.29)

 

「すうむた」という小字は1600年以降の記録のなかにも数回でてきており、「惣牟田(そうむた)」という地名へと変化していくものと考えられます。また少なくとも1600年代初頭には、若松区小石に田園がひろがっていたことが想像されます。

約400年間、江戸時代当時の景観がそのまま残っているかどうかはわかりません。しかし曲線を描く棚田の形から推察すると、江戸時代からの景観がおおきく変化してはいないのではないかと想像します。

以下の写真は集落の奥の方を撮った写真で、棚田のほとんどが、現在もう使用されておらず荒れてしまっていることがわかります。

↓わずかに、昔、田畑であったことを想起させる段差が荒地にのこっています。空には多数のカラスが舞っています。あまり人がこないためか、私が写真を撮っているとカラスはけたたましく鳴きはじめました。

↓集落の最深部。谷になっていることがわかります。

集落の中心部ふきん。この辺りに、石峰神社の参道入口があります(参照:惣牟田(そうむた)の石峯神社参拝 福岡県北九州市若松区大字小石

 

*1:1573年~1592年

*2:かんき。家来や子供が、君主・父からしかりとがめられること。勘当(かんどう)。

*3:豊前国小笠原藩