今回の記事は、『サルタヒコ考―猿田彦信仰の展開(飯田道夫著)』の内容をまとめたものです。庚申塔の祭神として、よくまつられている猿田彦大神という神さまが、どんな特徴をもっているのか?の勉強メモです。
道祖神のひとつである猿田彦大神
民間信仰の神さまのひとつとして道祖神があげられます。道祖神がすべて猿田彦大神ではありませんが、道祖神の一部が猿田彦大神としてまつられていることがあります。
下に道祖神が別の名前でまつられている例を示します。しかし、道祖神がイコール猿田彦大神というわけではないようです。
神社にまつられる猿田彦大神
猿田彦大神は民間信仰としての神さまだけではなく、神社でもまつられています。例えば、以下の二社です。
・幸神社(さいのかみのやしろ)参照
場所:京都府京都市上京区幸神町303寺町通今出川上ル西入ル
・道祖神社
場所:京都府京都市下京区南不動堂町5-4
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神社のなかでも、おおきな神社でも、猿田彦という名とは別の名で祀られていることもあります。
聞きなれない早尾神と源太夫
興玉神(おきたまのかみ)は、猿田彦大神とつながっていることは、なんとなくわかりますが、早尾(はやお)神や源太夫(げんだゆう)という名前の神さまは、はじめて聞きます。
早尾神社(はやおじんじゃ:滋賀県大津市坂本)は、現在ではスサノオを祭神としていますが、異説として猿田彦が祭神という説もあるそうです参照。
熱田(あつた)神宮の源太夫(げんだゆう)という神さまは、現在では摂社としてまつられています。江戸時代には源太夫社とも呼ばれていました。この社は、東海道と美濃路との分岐点であったそうですが、1949年(昭和24年)に熱田神宮境内に遷座されました。もともと源太夫社があった場所には、現在は、「ほうろく地蔵」がまつられています参照。
東海道と美濃路との分岐点にまつられる神さまとして、道祖神としての一面ももつ猿田彦大神がえらばれたのかもしれません。
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このように、たくさんの名前をもった猿田彦大神ですが、早い時期に全国各地でまつられ、各場所で独自の変貌を遂げたのではないかと考えられます。
猿田彦大神の本社はどこなのか?
そもそも、もともと猿田彦大神の本社はどこであるのでしょう?『サルタヒコ考―猿田彦信仰の展開(飯田道夫著)』P.31に、猿田彦大神の本社についてふれられています。
これによると、椿大神社(三重県鈴鹿市山本町1871:Google map)であるといわれています。「自称 伊勢一宮 猿田彦大本宮」であると紹介されているので、史料にもとづいたものではないようです。しかし、椿大神社の神主はむかしから山本家の世襲で、社伝によれば、山本家も猿田彦の神裔(しんえい)で、創建以来、累代猿田彦命を襲名していた、ということです。
猿田彦大神はどんな神様なのか?
導きの役割とともに邪鬼を払う役割をもつ猿田彦
神さまが場所を移動することを神幸(しんこう)と呼びます。神幸のとき、猿田彦大神が移動する神さまを導くといわれます。神幸の猿田彦大神は、鉾(ほこ)を持ち、天狗のような険しい形相をもっています参照。この特徴から神さまを導くと同時に、道の邪気をはらうという役割をもつとも考えられています(参照:『サルタヒコ考―猿田彦信仰の展開(飯田道夫著)』P.10)。