江戸時代、「豊前国」と「筑前国」の境に、小倉藩と福岡藩によって建てられた国境石が多数ありました。2021年現在では13基が残っているそうです。
13基の国境石のうち、国境紛争の多発地帯であった田代(たしろ)地区…福岡県北九州市八幡東区…に残されている国境石は3基あるといわれます(参照:案内板)。いずれも自然石型の国境石です。3基の国境石がある場所は以下の通りです。
①荒谷口の林道沿の竹林の中
②荒谷越西の尾根
③河内病院裏の畑の中
今回、以下に写真としてご紹介しているのは、国境石かどうか不明の石碑です。石碑のすぐとなりに「国境石の案内板」がたてられているので、これは国境石だろうと思って写真を撮ったのですが…
場所:福岡県北九州市八幡東区田代町
座標値:33.806303,130.797215
上の写真の石碑は田代地区で、別の史跡を探しにいったときに、たまたまみつけることができました。別の史跡とは、このあたり一帯が田代地区の照空陣地であったことを示す「下関要塞地帯要石」のことです(参照:『北九州歴史散歩 筑前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.68)。この史跡はまた別の機会でご紹介したいと思います。
田代地区にある3つの国境石に刻まれる銘文はいずれも「従是西(これよりにし)筑前国」となっているそうです。公民館横の石碑をみても、文字は確認できませんでした。
病院裏の境ヶ谷境石は自然石の中では最大のもので、銘文が彫られている面は、正確に西を向いているとのことです(参照:案内板)。国境石の銘文の筆者は、いずれも福岡藩の祐筆(ゆうひつ)、二川相近(ふたかわすけちか)といわれています。
①荒谷口の林道沿の竹林の中
②荒谷越西の尾根
③河内病院裏の畑の中
これら3つの国境石のうち、①と②の国境石をさがしてみたのですが、河内病院の敷地内にはいらなければならず、しかも、場所もわかりにくかったために、見つけられずじまいです。