福岡県遠賀郡岡垣町にある高倉神社の境内に、立派な銅製の毘沙門天立像がまつられています。私は高倉神社にたびたび訪れており、こちらの毘沙門天立像はみかけていました。
去年(2019年)に高倉神社へ毘沙門天像の写真をとらせていただこうと訪れたとき、台座のみで肝心の像自体がありませんでした。像は、どうも調査と展示のために持ち出されていたようです。
2020年7月8日に高倉神社を再訪したとき、毘沙門天立像がもとの場所にもどされていたために、一年越しで写真を撮ることができました。
場所:福岡県遠賀郡岡垣町大字高倉
座標値:33.847201,130.600133
延徳三(1491)年に大江貞盛という鋳物師により造られました。芦屋釜で有名な芦屋鋳造技術をつかってつくられているそうです。今から530年近く前に造られたとは思えない緻密な造りをしています。
毘沙門天は左手に宝塔、右手に三叉を持つ。甲冑(かっちゅう)や衣文(えもん)には菊花文(きっかもん)、雷文(らいもん)などの文様が施されています。
「雷文」というのは いわゆるラーメン器の内側にある幾何学模様のことです。目をこらしてみると、腹の獅子の下部分に雷文があることがわかります。
衣裾部分にまで菊花文があったり、獅子の顔があったりと細かい部分にまでこだわっていることがわかります。
毘沙門天といえば邪鬼をふみつけていることが多いですが、この銅製毘沙門天立像も例にもれず、邪鬼をふみつけています。
毘沙門天の背後の裾部分に建立年月と願主の名が刻まれます。願主は須藤駿河守行重とあります。須藤氏は福岡県遠賀郡岡垣町の手野という地区の富豪でした。
この人物は他にも寺院再興や、仏像寄贈をおこなっているといいます。芦屋釜の鋳物師を支配する人物であったという説が有力です(参照:岡垣町史P.840)。