国東半島の石造美術(酒井冨蔵著)P2-5を読んでいると、大分県の国東半島(くにさきはんとう)では、かなり古い時代からヒトの文化がはじまっていたことが紹介されています。
ではいつぐらいから文化ははじまっていたのでしょう。国東半島各所に残る遺跡から、おそくとも縄文時代から国東半島に文化がさかえていたことがわかります。
・早水台遺跡(縄文時代早期)参照
場所:大分県速見郡日出町川崎
・ワラミノ遺跡(弥生時代)
場所:大分県東国東郡国東町大字大恩寺
・安国寺遺跡(弥生時代)参照
場所:大分県国東市国東町(大字)安国寺(字)前田
これらの遺跡とともに、同時代に国東半島にヒトが集まっていた証拠のひとつとして姫島(大分県東国東郡)の黒曜石が挙げられます。
場所:大分県東国東郡姫島村南
座標値:33.732915,131.642706
姫島の北西端に位置する観音崎で、たくさんの黒曜石が露出しています。
日本における石製の「矢じり」は縄文時代から弥生時代に使用されたとされます参照ので、黒曜石製の矢じりという証拠品でも、縄文時代における国東半島文化がはじまっていたことがわかります。当時の姫島は島の特産の黒曜石によって栄えた(石のやじり製造)それは黒曜石を求めて訪れてくる原始人がいた 国東半島の石造美術(酒井冨蔵著)P4
姫島で黒曜石をほりだし、これを加工していたということなので、縄文時代には姫島ではヒトが居住していたのでしょう。国東半島文化の歴史をしらべてゆく際は、すくなくとも縄文時代から知っていく必要があります。