道ばたや空き地に生えている草と、山野に生えている草には違いがあるのでしょうか?「雑草」という呼び名と「野草」という呼び名にはなにか違いがあるのでしょうか?
結論からいうと…
・人の手が一定期間ごとに入る土地で生えるのが雑草
・人の手がくわわっていない自然のなかに生えるのが野草
…と考えられます。
↓下の図は『図説 日本の植生 (講談社学術文庫)』P258-261に紹介されている「人里植物」という項をざっくりとまとめてみたものです。わたしの解釈がはいっているので、まちがっていたらすみません。
自然界にはえている草を、その生きている環境の性質によって分類したのが上の図です。
人の手がたくさん入って、しょっちゅう土地がかく乱されていたり、植生が破壊されている土地…つまり耕作地のような土地…では一定の草が生えてきます。
①土地のかく乱
②植生の破壊
③さら地
④生命力の強い草の発芽
というような①から④の流れが、耕作地では一定期間ごとに規則的におこなわれます。このような土地で繁茂する草はいわゆる【雑草】と呼ばれます。
この①土地のかく乱、②植生の破壊が不規則的におこなわれる土地、まったくの自然の状態ではなく人の息がかかる土地では、雑草とはちがった植生がうまれます。
「まったくの自然の状態ではなく人の息がかかる土地」とはどんな土地なのでしょう。登山道とか、しばらく人が入っていない空き地とか農道などがそれにあたるのではないかと思います。
このような土地では【人里植物】と呼ばれる草がはえてきます。『図説 日本の植生 (講談社学術文庫)』のP260では、人里植物の代表例が「オオバコ」と紹介されています。
↑©W oobako4041 by カールおじさん
人による植生の撹拌(かくはん)がときどき行なわれる土地では、このオオバコのような植物が勢力をのばします。オオバコの種にも人の手を借りて播種(はしゅ)するしくみがそなえられています。オオバコの種には粘着性があり、人の足にくっつき、広い範囲へ人の手(足)により種が運ばれます(参照:『図説 日本の植生 (講談社学術文庫)』P261)。
人の手がくわわっていない自然に、オオバコのような、人の力を借りて勢力をのばす植物が入りこむことがあります。ちなみに、人の手がくわわっていない自然で育つ植物を【野草】と呼びます。野草が育つ領域が、人によって植生がかく乱されると、人里植物が侵入してしまいます。
なんだか野草にとって危機的状況のようにかんじますが、人里植物それのみで野草の植生にうちかつことは困難なのだそうです。人の手によるかく乱がおきなければ、徐々にオオバコのよな人里植物は衰退してゆきます。
『図説 日本の植生 (講談社学術文庫)』では人里植物の具体例が紹介されています。
・オオバコ
・クサイ
・ヨモギ
・メヒシバ
・ノコンギク
・ハコベ
・コナスビ
・アシボソ
・ヒメジョオン
・アゼクサ
・スズメノカタビラ
おそらく、道路わきに生えている草のなかに、ここにあげたような種類の草が生えていると考えられます。私の予想では見つけるのは、そんなに難しくはないと考えられます。散歩がてらに目をこらして探してみれたらと思います。