図書館で保管されている各市町村の市史・町誌などは、史跡めぐりをする際には、情報の宝庫です。福岡県田川郡の福智町立図書館「ふくちのち」で『金田町誌』P826をしらべ、庚申塔が祀られている場所を探してみました。
情報のひとつに”福智町の飯土井神社に庚申塔群が祀られている”ことがわかり、行ってみることにしました。”飯土井”とは珍しい地名です。語源は次のように伝えられています。
天照大神(あまてらすおおみかみ)のお告げにより、神社の東北に井戸を掘ると清水が湧出し、土も赤飯のようであった(参照:福智町HP 飯土井神社)
ことから、この地が飯土井(いどい)と名付けられ、神社も飯土井神社と呼ぶようになりました。
そんな飯土井神社の参道わきに、下の写真のような祠があります。合計10基の石塔がまつられるコンクリート製の祠です。
場所:福岡県田川郡福智町神崎
座標値:33.674795,130.770046
これら石塔群のなかで、はっきりと庚申塔とわかるものは3基でした。
①猿田彦大神と刻まれた庚申塔
明和五年(1768年)建立。「明和五 戊子 四月十五日」と刻まれています。
②「?奉 庚申待願成就????」と刻まれた庚申塔
宝暦九年(1759年)建立(記銘が判読できなかったので金田町誌P826を参考。「八月吉祥日」という文字のみ判読が可)
③「幸神」と刻まれた庚申塔
宝暦十四年(1764年)建立
以上の3基がはっきりと庚申塔とわかるものです。『金田町誌』P826ではもう一基「庚申待願成就」と刻まれた庚申塔があると書かれています。はっきりとはわかりませんが、恐らく2基ある笠付の石塔のうち、もうひとつの石塔ではないかと思います(下の写真)。
④文字がもう判読できない笠付の石塔
この庚申塔は建立年月は不明です。
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ここまでが庚申塔のご紹介です。4基の庚申塔をご紹介しました。残り6基の石塔は、その詳細がわかりませんが、ひとつだけ簡単な説明書きがある石塔がありました。
この石塔には、人が足をくみ胸の前で両手をあわせているような像が刻まれています。案内板によると、この石塔は墓石で永正四年(1507年)から七年(1510年)時の宮司の後見供養としてたてられたとあります。
「後見供養」とはどういう意味の言葉なのでしょう?「後見」はこれ単独で読めば「こうけん」で”親権者がいない未成年者のサポートをする”制度とあります参照。
これを踏まえ「後見供養」をざっくりと解釈すれば”ある人が亡くなったけど、その亡くなった人を供養する親族がいないので、みんなで供養する”という意味になるのでしょうか。
「後見供養」と似た言葉に「永代供養」という言葉がありました参照。お墓をたててもそのお墓を承継していく人がいない場合、寺院などがそのお墓を管理してゆく制度です。
案内板には、この石塔が「宮司の後見供養として建碑された」とありますので、”当時の宮司のお墓を継承してゆく人おらず飯土井神社で管理していくことになった。そのために建てた墓石である”と解釈してみました。