日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

鹿児島市内の田の神様 鹿児島市 東谷山

鹿児島市内で見つけた、田の神様のご紹介です。鹿児島の田の神様は、インターネットのサイトでも、Google Map上でもまとめてくれている方がいらっしゃるようで、探索が円滑にいきました。

 

(参照)

http://5.travel-way.net/~niemon/kagosima/tanokami/tanokami.html

 

鹿児島市の東谷山という地区にある公園に、その中のひとつの田の神様を見つけることができました。鹿児島市内では、田んぼの傍に祀られているという、田の神様のイメージとは異なり、公園など公共の広場の片隅に、田の神様が祀られていることが多かったです。


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場所:鹿児島県鹿児島市東谷山5丁目

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どういう理由かは不明ですが、顔の中心に大きな穴があいていて、頭には大きな甑(こしき;米・豆などを蒸すのに用いた道具)を乗せていることが表現されています。

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そして裾や袖の長い着物をまとっています。

 

こちらは、鹿児島市の上福元町でみつけた田の神様です。造形がはっきりとしており、両手にはしゃもじと茶碗を持っています。

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場所:鹿児島県鹿児島市上福元町

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どうも、食や農業にかかわる道具を身にまとっていることが多いようです。隣には水神様の石塔も祀られていました。

 

上福元町の田の神様は、ディスカウントストアの駐車場脇に祀られていました。どちらの田の神様も、田んぼや農業とは関わりのなさそうな街なかに祀られていました。

 

おそらく、これら田の神様がつくられ祀られた当時は、あたり一面、田んぼが広がっていたと想像されます。

 

田の神様がつくられ始めたのが18世紀初めで、霧島の新燃岳の活動は当時も活発でした(1716~1717年に大規模な噴火が起きている:参照

 

また、江戸時代、薩摩藩では経済状態が厳しく、少しでも農産物の収穫を増やそうと、稲作を奨励していました。このような政策のなかで、稲の豊作を願うために「よりどころの像」である、田の神様を作るようになったといわれています(参照)。

 

九州のなかでも薩摩、日向、大隅という、南部の一部地域しか、田の神様が分布していないことが、希少度を高めています。

 

1.仏像型 → 僧型 → 旅僧型

2.神像型 → 神職型 → 田の神舞型

(または神舞神職型)

 

…と2つの系統に分かれ、地域によって神像の形態が違ってもきているようです(参照

 

同じ九州のなかでも、北部と南部では風土が異なるので、また違った風習を発見することができます。

 

鹿児島では、他地域と比較し、火山に関わる風習や地形を、多く見つけることができたと感じます。

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池田湖から眺める開聞岳↑いずれも昔の火山活動でできた地形です。