福岡県遠賀郡 岡垣町の北側。響灘(ひびきなだ)に面する海岸沿いに12㎞にわたってひろがる三里松原(さんりまつばら)。三里松原に「頓々の滝(どんどんのたき)」を探しにいった際、「疫神社」と名前が付けられた場所をみつけました。
木製の鳥居をくぐり、20段ほどの階段をのぼると…
見晴らしのよい広場に祠がひとつ、小さな手水鉢がひとつ、祀られていました。
場所:福岡県遠賀郡岡垣町大字吉木 三里松原
座標値:33.872691,130.604643
祠のなかには手のひらサイズの小石が6つと、小さな石造りの人形があり、缶ビールがひとつ供えられていました。
祠に向かって右側面に、おそらく、「明治十八年 □□ 十一月」と刻まれているようです。文字がかすれて、肉眼でもかなりみにくくなっていました。写真を加工してコントラストを強くしました。
明治十八年は西暦1885年。2019年時点からさかのぼると、134年前につくられたものと予想されます。
やや角度を変えて写真を写したら、凹凸が若干明瞭に見え、文字がみえやすくなるということがわかってきたので、いろんな方向から文字の写真を撮ってみました↓ やはり明治十八年ということは間違いなさそうです。
遠賀地域にむかし疫病がはやり、疫病をおさめるために勧請(かんじょう)された神社でしょうか。
この祠がつくられた1885年ちかくに疫病などがなかったか、『岡垣町史』内をさがしたところ、P257に疫病・流行病のことが書かれていました。1885年にいちばん近い時代の流行病は以下のとおりです。
自然現象的災害の外にも、疫病、流行病も庶民の生活をおびやかし、嘉永七年(1854年)の夏に発生した北条虫は蕎麦の葉を食い荒らし、農業生産を脅かしている。
人に流行り病が発生したとばかり、わたしは思い込んでいました。しかし、もしかしたら農作物に対する疫病に対しても、このような祠を建てて、疫病の収まりを願っていたのかもしれません。