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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

駅舎の場所が変わり 名前が変わった駅 福岡県嘉麻市鴨生

同じ駅の敷地内で、駅舎が移動しただけで、駅名が変わってしまったという珍しい駅があります。それが下鴨生駅(しもかもおえき)です。下鴨生駅は福岡県嘉麻(かま)市の鴨生(かもお)にあるJR後藤寺線の駅です。

場所:福岡県嘉麻市鴨生

座標値:33.614676,130.728631

 

下鴨生駅は駅舎のない無人駅で、駅前には広いロータリーと駐車場があります。訪れた日は、利用されているかたが数組おられましたが、駅周辺には店などもなく閑散とした印象を受ける駅でした。

↑駅前の広場

 

現在(2019年)では、この駅は嘉麻市鴨生という地区にあるのですが、駅がつくられた当時は、下鴨生駅は駅舎がいまとは違う場所にあって、嘉穂郡の庄内村と稲築村とにまたがっていました。庄内村の赤坂という地区の名前をとって、赤坂駅という駅名で1916(大正5)年に開業しました。赤坂駅は、その後、1956(昭和31)年に、現在の下鴨生駅と改名しました。

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↑下鴨生駅前の駐車場

 

貨物駅から旅客駅になり駅名も変わった

どうして(赤坂駅→下鴨生駅)と改名したのでしょう?その理由として、赤坂駅が1951(昭和26)年に駅舎の位置を移動したからです。もともと赤坂駅は、石炭をつみこむための貨物駅として開業したのですが、周辺住民から「旅客列車を赤坂駅にもとめてもらえないか」という要望がだされ、1920(大正9)年に赤坂駅にも旅客列車が停車するようになりました。


しかし、住民の要望は続きます。赤坂駅は石炭積み込みのためにつくられた駅。お客さんが乗降するためには、条件の悪い場所にありました。そこで住民は「もっと列車にのりおりしやすい場所に駅舎をつくってほしい」という要望を国鉄にだします(参照:『九州のおもしろ鉄道史』P397)。

 

要望をのんだ国鉄は赤坂駅から、約100m東側に旅客ホームをつくることにしました。その場所は稲築村の鴨生(かもお)という地区です。そこで、駅名を赤坂駅から鴨生駅へと変更する必要がありました。

 

実は「鴨生駅」という名前はもう他の路線で使われていました。その路線というのが、今はなき漆生(うるしお)線。漆生線はかつて後藤寺線(赤坂駅)から分岐し、南へのびていた路線です(参照:鴨生駅 - Wikipedia)。国鉄は鴨生駅とできず、下鴨生駅として1956(昭和31)年に駅名を改めました。

 

赤坂駅跡は今どうなっているのか?

下鴨生駅を訪れたとき、周囲に駐車できる場所はないか探して、たまたま見つけた場所がこちらの広い駐車場です(座標値:33.615108,130.727193)↓ 史跡巡りをつづけていると、このようなよくわからない空き地が、むかし何かあった場所であることが勘でわかることがあります。事前に、下鴨生駅が赤坂駅から移転されてできた駅…という情報を知っていたので、この広場がおそらく赤坂駅跡だと予想できました。

↓実際に事後に地図で「謎の広い駐車場」の位置を調べてみても、”赤坂駅から100mほど東に下鴨生駅をつくった”という情報とも整合します。

 

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この場所から、大正時代には石炭が積み込まれていたのですね。石炭がつみこまれていたということは、むかしこの付近にも炭坑があったと予想されます。炭坑に関わる史跡が、下鴨生駅ふきんでも見つかるかもしれません。想像がふくらみます。