福岡県田川郡の添田(そえだ)に添田駅があります。JR九州 日田彦山線の駅のひとつです。ここの駅では、駅舎からホームまで、約100mほど歩かなければならないという特徴があります。ホーム改札口をでると、いちど屋外へ出て、屋根のない細い路地をL字型に約105mあるいて、屋根のあるホームへと移動します。
↓こちらは、添田駅の北側から、駅舎とホームを眺めた写真です。駅舎のはるか向こう側にホームが見えます。
駅舎とホームの位置関係を模式図で確認してみると、駅舎の前には何もない広場があり、その広場の南側にホームが建設されていることがわかります。
駅舎のすぐ近くにホームをつくればいいのに…と事情を知らなければ…思ってしまいます。
この広場に、昔、なにかがあって、そのために、ホームが駅舎からちょっと離れた場所に建設されたのでは…となんとなく想像することができます。そのエピソードが『九州の鉄道おもしろ史』(P416-418)に掲載されていましたので、ご紹介します。
この添田駅が開業したのが、1915年(大正4年)4月1日で、その当時は小倉鉄道が管理をしており、上図の広場がホームとして使われていました。
※添田駅が開業したときは、上添田という名前の駅で、その後も彦山口駅と…名前が変わり、ややこしいので、以下「添田駅」として記していきます
大正時代は田川をはじめとした、筑豊地方は炭坑全盛の時代でした。添田駅でも、もちろん炭坑から掘り出された石炭を輸送するための、貨物車がたくさん出入りしていました。添田駅横のホームには、その石炭輸送のための貨物車がずらりと横づけされていました。
小倉鉄道が管理していた添田駅ですが、今度は国鉄が別の路線を彦山駅方向へ伸ばすこととなりました。その際に、国鉄が小倉鉄道に頼み、この添田駅を利用させてもらうこととなりました。1942年(昭和17年)のことです。
国鉄が添田駅を利用するのは旅客のため。お客さんを乗り降りしてもらうホームが必要です。しかし、上図のように、駅舎のとなりにはたくさんの貨物車が発着し、ホームをつくるスペースがありません。
そのため、貨物車が発着する区画ではなく、もっと南側のほうにホームを建てることとなりました。南のほうに建てたホームに国鉄の列車が入ってこれるようにしたわけです。
石炭の時代が終わり、貨物車が入ってきていた添田線が廃線となったのが1985年(昭和60年)です(参照:添田駅 - Wikipedia)。そうすると、それまでたくさんの貨物車が発着していた場所には列車がつかなくなりました。
よって、現在(2019年6月)のように、駅舎の前には何もない広場ができてしまったのです。
添田駅の現在の駅舎です↓この駅舎は1988年(昭和63年)に建設されました。
この駅舎に向かって左側部分から、現ホームへと続く小道がでています↓ 横から出入りできないように、フェンスで囲われています。
こうやって筑豊地方にある駅を訪ね歩いていると、石炭を燃料としていた時代の名残がよく見かけられます。まだまだ、わたしの知らない”名残”が福岡県各所にありそうです。
参考にした書籍