秋芳洞正面入口から約400mの場所。これまでの行程は、いかにも洞窟という感じの細く長い穴を歩いてきました。細いといっても洞窟の幅はおよそ35mもあるので、狭いという感じはありません。
正面入口から400mほどの場所は広い空間となっています。そのために「広庭」と呼ばれているようです。看板も立っていました。その広庭に「洞内富士」という巨大な石柱ができあがっています。下の写真がそれです↓
一歩ひいて周囲の風景も取り入れて写真を撮ってみると、下の写真のようになります↓
この洞内富士も、前回にご紹介した百枚皿と同様に、なかなかのスケール感でした。百枚皿とはまったく別のしくみで、この洞内富士はできあがったようです。
洞内では天井のあちこちから地下水がポタポタと落ちています。この雫のなかに土が含まれています。土が長い時間をかけて堆積したものが石筍(せきじゅん)といいます。地面からにょきにょきとタケノコが生えたような石の柱のことです。
これがさらに成長すると、おそらくこんな形になります。天井からの石柱と、地面からの石柱がくっついています。
さらに成長がすすむと一本の柱になります。さらに長い年月が経つと洞内富士のような巨大な山となると考えられます。洞内富士は秋芳洞内最大の石柱です。
洞内富士はどれくらい前からでき始めたのか?洞内富士が乗っている土台は広庭です。さらにこの広庭は約1万年前に溜まった土砂の土台に乗っています。そのため洞内富士は1万年よりも新しい時代にできはじめたと考えられています(参照:秋芳洞の自然観察P10)
いまでも洞内富士には地下水が流れてきていて、成長していると考えられます。地下水はどんどん流れ、洞内富士周囲には南瓜岩(かぼちゃいわ)、大松茸(おおまつたけ)、笣柿(すぼがき)などのユニークな名前がつけられた自然の美術品がならんでいます。
南瓜岩(かぼちゃいわ)↓
大松茸(おおまつたけ)↓
笣柿(すぼがき)↓
これまで(入口→青天井→長淵→百枚皿→洞内富士)と見てきました。百枚皿と洞内富士の間には、秋芳洞のなかではもっとも狭い「関門」があるそうです(参照:秋芳洞の自然観察P10)。
関門とはどういう意味なのでしょう?”洞窟が一か所だけ狭くなっている場所”という意味ではないかと想像してみます。自分の撮った写真を見返してみると、たしかにそういう場所がありました。
↑これは千枚皿から洞内富士方向を眺めた場面です。たしかに突発的に一か所だけ洞窟が狭くなっています。どうしてこんな地形ができたのか、明確な答えはわかりませんが、もしかしたら、地下水の溶食のしかたが、この場所だけ他の場所とは違っていたのかもしれません。あるいは、石の性質が他の場所と違っているのかもしれません。