犬鳴ダムには、他のダムと同じようにダムをぐるっと一周する舗装道があります。車は時計回りで一方通行とはなっていますが、道幅は広く、駐車禁止の標識もでていないので、要所要所で車を停めることができます。車通りも少ないので、ゆっくりと景色を堪能できます。
犬鳴ダムの北端には車が何台も停められる駐車場があり、周囲を散策できる広場も造られています。ダム北端をぐるっと回りこんで折り返し、少し南下したところで右側に広い駐車場が見えてきます。道路をはさんで、駐車場の反対側に今回ご紹介する庚申塔がありました。
場所:福岡県宮若市犬鳴(いぬなき)
座標値:33.700091,130.557130
庚申塔の前には「木炭窯跡」の案内板も立っていました。ちなみに「木炭窯跡」を探しに山のなかに入ってみましたが、草木が生い茂り、それらしいものを見つけることができませんでした。
庚申塔の中央には「庚申鎮護」、その両側に建立年月が刻まれます。建立年月の銘は比較的よむのにわかりやすく「享保十六 辛亥 年」「八月吉日」と刻まれています。
享保十六年は1731年、干支(かんし)は辛亥(かのとい)です。八月吉日の下に「大?谷中」と読めそうな文字が確認できます。犬鳴ダムに村が沈む前にあった集落のひとつでしょうか?
ネットで「大?谷 犬鳴ダム」と検索してみると、サイトのひとつに「犬鳴谷」という文字を発見することができました。犬鳴ダムの北側に、昔はお城があったようで、そのお城の名前は「犬鳴御別館(いぬなきごべっかん」。1865年にお城は建てられたそうです。お城が建てられた当時、そこにあった村は「犬鳴谷」と呼ばれていたそうです。
1865年ということは、こちらの庚申塔(1731年建立)のほうがさらに歴史は古いのですね。
ダム周辺には炭焼小屋の遺跡がいくつか見つかっているそうなので、犬鳴谷村は農村であるとともに、炭焼で生計をたてる方たちが多かったのかもしれません。
それにしても、庚申塔に庚申鎮護という文字が刻まれているのは、はじめて見ました。鎮護とは何なのでしょう?コトバンクには”災いや戦乱をしずめ、国の平安をまもること”とあります。
https://kotobank.jp/word/%E9%8E%AE%E8%AD%B7-569923
庚申塔建立の目的はさまざまですが、鎮護という文字から、今回の庚申塔は村に災いが入るのを防ぐ意味をもったものと予想されます。犬鳴ダム周囲には、今回の庚申塔を含めて6基を確認できました。現在の場所へ移された庚申塔もあるかもしれませんが、犬鳴谷を周囲から見下ろし、取り囲むように庚申塔群が祀られていました。昔の方たちは犬鳴谷という村を守ってもらうという目的で、これら庚申塔を建てたのかもしれません。