日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

庚申塔(こうしんとう)ってなに?と聞かれたらどう答えるか?

「休みの日はなにしてるの?」と、仕事場の同僚に尋ねられることがあり、そのときには「うーん…石仏の写真を撮ってる」と答えることが多いです。

 

ほんとうは「庚申塔を探してる」と答えたいのですが、「コウシントウ?コウシン党って何?何か政治活動をしてるの?」と奇異な目でみられてしまうので、「石仏の写真を撮っている」と言葉を濁してしまいます。

 

だいたい「石仏の写真」と聞くと「ああそうなの」と大半の若いかたは、そこで興味が消え去ってしまうようです。中には奇特なかたがいて「どんな石仏を撮ってるの?」と、さらにつっこんで聞いてくれるかたもいます。そんなときに「庚申塔っていう石塔を探して撮っているんよ」と説明します。

 

「コウシントウって何?」とまったく庚申塔について知らないかた(あまり庚申塔に対して興味がないかた)に尋ねられた場合、どのように端的に伝えたらいいのか。細かい説明をくどくどしても伝わらないし、仮に説明したとしても「ああ…そうなの」と、かえって敬遠される可能性が高くなります。

 

そこで少々説明が乱暴ではあるけれども、「江戸時代に流行(はや)った民間信仰で庚申信仰っていうのがあるんやけど、その信仰の集まりでつくられた石仏なんよ」と伝えるようにしています。

 

この説明だと「民間信仰で造られた石仏」と大雑把にイメージができるのではないかと思います。「民間信仰」「石仏」という受け入れやすいキーワードがあると、わかりやすく、受け入れやすいようです。

 

今回の記事は、「庚申(こうしん)」という聞きなれない言葉がどこからきているのか、ちょっとまとめてゆきたいと思います。以前にも似たような記事を書いた記憶がかすかにあり、自分で自分のブログを調べてみましたが探し出せませんでした。

 

自分自身の頭のなかの整理を兼ねて、「庚申」という言葉について再度まとめてみたいと思います。

 

わたしたちの身近な文化のひとつに干支(えと)というものがあります。「ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ…」というように学校で覚えさせられた、“あれ”です。

 

正確にいうとこれは干支(えと)のひとつである十二支(じゅうにし)というものです。普段、干支(えと)と言うとき、この「ね、うし、とら、う…」が思い浮かびますが、混乱しないように、ここでは十二支(じゅうにし)と正確に表現することにします。念のために十二支をすべて書くと以下のようになります。

 

子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥

 

一方、干支(えと)には、もうひとつ十干(じっかん)というものがあります。「十干って?」と、はじめて聞くかたもおられるかもしれません。わたしも庚申塔について調べているときはじめて知りました。でも「甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)」という言葉はどこかで見たことがないでしょうか。契約書類に記載されている、“あれ”です。実は、この甲乙丙には続きがあるそうなんです。それをすべて書いてみると以下のようになります。

 

甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸

 

十干という言葉通り10個あります。なじみのない言葉で一語一語なんと読むのかもわかりません。ふだんの生活で使うことはまずないでしょうが、ここでは、庚申塔について説明をしなければなりません。必要な箇所だけ拾ってみると、7番目に書かれた「庚」が庚申塔という文字に含まれています。「庚」は「かのえ」と呼びます。

 

庚申塔の「庚申」は、これら十二支十干との組み合わせの文字です。つまり、十干の7番目にあたる「庚(かのえ)」と十二支の9番目にあたる「申(さる)」とを組み合わせると「庚申(かのえさる)」となります。十二支は12個、十干は10個ありわずかに数がそろいません。そのため十二支十干の組み合わせは微妙にずれていきます。これらの組み合わせは、全部で60個です。

 

ちょっと話はずれますが、十二支は、よく各年に当てられて、「今年は辰年(たつどし)なので年男(としおとこ)だ」など、ふだんの会話のなかでも使われなじみ深いと思います。干支(十二支十干)が当てられるのは“年”だけでなく、“時間”や“日”にも当てられます。“日”に干支を当てると60日で1周することになります。つまり「庚申」も60日に1回周ってくることになります。

 

60日に1回周ってくる庚申日の夜に無病息災を願って寄り合いが開かれました。それが庚申信仰で、その寄り合いに集まった人たち(庚申講)によって造られたのが庚申塔なのです。