座標値:33.348322,130.002328
あまり佐賀県で史跡を巡ることがなかったので、仕事が休みであった2018年8月18日に唐津市の鵜殿石仏群を拝観することにしました。こちらの史跡は、交流センターで無料で配布されている観光パンフレットで知ることができました。
知らない土地で、このような史跡を巡る際は、その土地土地の郷土資料館などで配布されている観光パンフレットが、大きな力添えになってくれます。
これらの石仏群が祀られたのは、この地方を治めていた相知(おうち)一族が関係すると案内板には書かれていました。どうも相知家は仏教への信仰に厚く、各所に石仏を残しているようです。
鵜殿”石仏群”とはいうものの、これらの石仏群は鵜殿窟屋(うどのいわや)といわれる岩窟を中心に、周囲の岩に石仏が刻まれているので、磨崖仏と呼ぶのが適当なのかもしれません。
14世紀から19世紀の間に、60体ほどの石仏が刻まれたそうです(参考:案内板) 伝承では、唐から日本へ帰ってきた空海が、この地でお釈迦さまを刻んだことが始まりなのだそう。でもあくまでも伝承であり、実際には空海がいた時代の磨崖仏はないようです。(参考:案内板)
その後、常暁(じょうぎょう)というお坊さんにより、このちにお寺も建立されました。そのお寺は今では消失し、残るのは磨崖仏群のみ。その磨崖仏群の中心となるのが、冒頭に写真でご紹介した「十一面観音」と「持国天(じこくてん)」、「多聞天(たもんてん)」です。
これらの磨崖仏は、無料駐車場から伸びている階段を5分ほどでのぼりきると、正面にある岩窟で出迎えてくれます。
↓岩壁に向かって、十一面観音の左側に持国天。
↓岩壁に向かって、十一面観音の右側に不動明王(写真左)と多聞天(写真右)が祀られます。
これらの磨崖仏は鵜殿石仏のなかでも最も古いものとされています。今から600年以上も前につくられたそうです(参照:案内板)
これらの磨崖仏は直接日光が当たらないように庇で守られています。どうもこの岩窟に塩分が多く含まれているという特徴があります。塩分が地下水により表面に染み出し結晶化し、それが岩壁の表面を傷つけてしまうようです。それを防ぐのは、直接日光にさらさないことなのだそう。
これらの磨崖仏以外にも、周囲にはたくさんの磨崖仏を見つけることができます。↓こちらは階段を上ってすぐ左側に祀られていた…不動明王さまと思われます。不動明王の髪の毛一本一本が表現されており、さらにそれがしっかりと残されています。
石仏群の表情や、身に着けている衣類の表現は、精密という感じではなくて、素朴な印象を受けます。
大分県の磨崖仏で比較してみると、臼杵などの大分県南の磨崖仏というよりも、国東半島でみられるおおらかな表現の磨崖仏に似ている印象を受けました。