以前「幸神と刻まれた庚申塔」という記事の庚申塔の隣にも、「庚申塔」と刻まれるものがあったので、今回はこれをご紹介します。
座標値: 33.656522,130.686962
楕円形の自然石に「庚申塔」とシンプルに刻まれています。その文字の両側に、どうも建立年月日が記銘されているようです。
「庚申塔」という文字に向かって右側に「□永 七■■年」と刻まれます。↓写真を加工して凹凸を見やすくしてみましたが、やはりはっきりした文字は確認できません。
↓角度を変えた写真を見てみます。なんとなく「□永 七■■年」の「□」部分は「安」という文字に見えなくもないです。そうすると安永七年ということでしょうか?安永七年の干支は「戊戌(つちのえいぬ)」。ということは「□永 七■■年」の「■■」部分は「戊戌」ということになりそうです。
念のため元号のなかで「?永」という名前の元号はないか調べてみます。1600年より新しい時代で下に永がつく元号は、寛永・宝永・安永・嘉永があります。そのどれもが7年以上続いています。嘉永のみ7年までで元号が変わっています。
「七」という文字から得られるヒントはなさそうです。そうすると刻まれ読み取れる文字からしか情報は得られないようです。↓文字の形から嘉永はなさそう。”うかんむり”の下に長めの横棒が一本ピッと入っているのが確認できます。一見、「宝」のように見えますが、字の全体の形から推察すると「安」という文字と予想されます。
実際に↓「安」という文字と比較してみると、なんとなく刻まれている字体の部分部分が「安」と類似しているように見えます。
ここでは「安永」と一応、結論付けておきます。
↓「庚申塔」に向かって左側には「正月吉日」という文字が確認できます。
まとめると「安永七戊戌年 正月吉日」と刻まれていると考えられます。
この庚申塔は単に「庚申塔」と刻まれますが、庚申信仰 (民衆宗教史叢書 第17巻)P218によると…
北九州の飯塚市や嘉穂郡地方には、前述のとおり元禄の頃から猿田彦の庚申塔が立てられてくる。ところが元禄以前には「庚申尊天」と刻む庚申塔がかなり多い
…とのことです。元禄時代、つまり1688~1704年以前にも筑豊地方にも庚申塔がたくさんたてられていたということがわかり、また探索意欲が高まってきます。