日本最古と言われる庚申縁起は大分県資料4,宇佐八幡宮文書之三,永弘家文書のなかに収められる「庚申因縁記」。書かれたのは1496(明応五)年【庚申信仰 (民衆宗教史叢書 第17巻)小花波平六編p207】
この時代から僧により庚申縁起が書かれるようになり、庚申信仰と仏教が結びついたそう。写真は鞍手郡 熊野神社の庚申塔↓
座標値:33.7676732,130.6750665
熊野神社境内には三基の庚申塔が祀られていました。上の二基の「庚申尊天」ともうひとつ↓「庚申尊」
↑こちらの「庚申尊」のほうは比較的最近の庚申塔のようでしたが、三基ともに造られた年月などは確認できませんでした。ただ、こちらの庚申塔↓は真ん中から真っ二つに割られていることから廃仏毀釈の時代を通ったものなのかもしれません。
その動きは早くは中世から見られるが、一般には江戸時代中期後期以後の儒教や国学や復古神道に伴うものを指し、狭義には明治新政府により出された神仏判然令(神仏分離令)。
と、神仏分離が紹介されています。だいたい江戸時代中後期から明治時代にかけて廃仏毀釈が発生したようです。
もういちど読む山川日本史では1868年…つまり明治時代が始まった年に神仏分離令が発せられ,廃仏毀釈が起きたと年表に記載されています(P344)。
政府ははじめ天皇中心の中央集権国家をつくるために神道を保護した。そのため一時全国にわたって廃仏毀釈の嵐が吹きあれた。(P231)
このような時代背景から、もしかしたら鞍手 新北 熊野神社に祀られる庚申塔も真っ二つに破壊されたのかもしれません。「江戸時代中期~明治時代初期」以前に造られた庚申塔であるとややおおざっぱな予想が立てられます。