唐津街道―豊前筑前福岡路 (豊前筑前福岡路) (九州文化図録撰書 (5))を読んでいると、ある地名の由来に関する記事が載っていたのでメモをしておきます。
豊臣秀吉が朝鮮出兵をするとき、休憩をとったといわれる茶屋跡が、北九州市八幡西区にあります。そこの地名が「茶屋原」と呼ばれ現在では「茶屋の原」となったそうです。
場所:福岡県北九州市八幡西区 茶屋の原
地図:Google マップ
その茶屋跡が三十間四方の広さらしいですが、それがどのくらいの広さなのか気になったので調べてみました。一間が182cm、なので182×30=5460㎝だから約55m四方の土地、つまり約3025㎡の土地となります。
茶屋の原という地域を地形図で示すと、このような感じとなります。
でも、この赤色で網掛けした土地全体だと259352 m²となって3025㎡と予想される茶屋跡としてはあまりにも広すぎます。この中のどこかに茶屋があったと考えられます。探せたらいいな。
現在の「茶屋の原」を航空写真で見るとこのような感じです↓ 整備された住宅街となっているようです。ちょうど真ん中をつっきるように新幹線の線路が走っています。
ちなみに↓下の地形図の赤線で示した部分、「茶屋の原」の南側には長崎街道が通っていました。
黒崎宿から木屋瀬宿間には4箇所の一里塚があったそうです。その一つが、この赤線部分に残されています。