「北九州の史跡探訪」(北九州史跡同好会)という史料を読んで、時間のあるときにちょっと行ってみたいなと思う史跡を巡っています。こういった、地方の有志のかたがたが編集・発行している史料は、その土地土地のディープな部分まで知れるのでおもしろいです。メジャーな観光地を目標に地方を巡っていても、なかなか自分好みの場所は見つかりにくいです。
今回は、この「北九州の史跡探訪」に紹介されていた、「紅影の池」という場所へ行っていました。
「紅影の池」
地図:Google マップ
このスポットは、日本書紀で登場するお姫様…神功皇后(じんぐうこうごう)ゆかりの地です。熊襲(くまそ)という人々が南九州に住んでいたのですが、この人々はヤマト大権に抵抗したとされています。
そこで神功皇后と、その夫である仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が、熊襲を征伐するために南九州まで遠征したそうです。その通り道のひとつが、ここ「紅影の池」です。
地図でみると、洞海湾(どうかいわん)と岩尾山とに挟まれた東二島という地区に、紅影の池は位置します。↓紅影の池前を通ってみると、住宅街のなかにこんもりと緑が茂っており、池があるようには見えませんが…
↓このように石碑と看板がたっており、ここが紅影の池でまちがいないことがわかります。
↓池の跡は、これら石碑と看板の右隣りにありました。井戸の跡のようで、繁みに半分ほど隠れてしまっていました。そのくぼみの中を覗いてみても、今は水はみられませんでした。昔は、清水が湧き出ていたんだそうです。
↓岩尾山と石峰山で集められた雨水が、両方の谷を通り、途中で地下に入り、やや平地となっている紅影の池ふきんで再び地上に湧きだしたのでしょうか。この池の水にまつわる伝承が、「北九州の史跡探訪」に簡単に紹介されていますので抜粋します。
神功皇后が熊襲征伐の時、洞の海から崗の水門に向う途中 里人が清水湧く美しい池に案内、鏡のような水面で容姿を整え御顔の紅まで映ったので 後この池を紅影の池とよんだ。
「洞の海」は「くきのうみ」と読み、つまりは洞海湾のこと。「崗の水門」は「こうのみなと」と読み、つまりは遠賀川のことだそうです。
「紅影の池」隣に立っていた案内看板にはこんな情報も…
・「御手洗(みてあらい)の池」とも呼ばれていた
・池の水を「お水」と称し病を治したり安産祈願をしていた
・池の水でお酒を造ると銘酒となった