先日、大分県豊後高田市の長安寺(ちょうあんじ)が紅葉の見ごろだと聞いたので、行ってみました。
地図:Google マップ
そのとき、境内に「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」を見かけました。収蔵庫の脇で、草木に隠れるようにして、その宝篋印塔は祀られていました。そういうわけで、何度か長安寺にはきていたのですが、宝篋印塔の存在は知りませんでした。
長安寺は、昔、山城が築かれていた屋山(ややま)のふもとにある寺院で、その屋山登山の出発点にもあたる場所にあります。(参照:国東半島の西側を一望できる 豊後高田市の屋山を登る 日々の”楽しい”をみつけるブログ)
このお寺には「木造太郎天」と「二童子像」を代表とする多くの文化財が収蔵されていますが、今回の参拝時にはじめて木造太郎天を拝観できました。住職さんに拝観のお願いをして、拝観料300円を納め、収蔵庫内を案内していただきます。収蔵庫内は撮影禁止なので、パンフレットの画像を↓…こちらの像は、たしか何かのガイド本でも見た覚えがあります。だいたい1mほどの像高ですが、想像していたよりも、大きい印象をうけました。高い場所に祀られていたからかもしれません。
話を宝篋印塔へ戻します。宝篋印塔は何なのか?よくわからないので、「図解文化財の見方―歴史散歩の手引」で調べてみました。
これによると、宝篋印塔は…
宝篋印陀羅尼を納めた塔で、塔身の四方に四仏、または梵字を刻む
…とあります。これだけではよくわからないので、wikipediaでも調べてみると、供養塔としての役割もあると書かれています。だれかを供養する塔のようですが、どなたなのか?長安寺の宝篋印塔を見てみると、このような感じです↓
塔身にあたる部分に、「極空蔵菩薩(タラーク)」を表す梵字が刻まれています。
↓さらにその梵字の下に、なにやら「宗仭公」と刻まれています。見慣れない文字です。
「宗仭公」でネットで検索してみても、「宗仭公」とは○○である、というようなドンピシャの解説は見つかりません。でもいろんな記事を参考にしてみると、どうも「宗仭公」は、屋山城主であった吉弘鎮信(よしひろ しげのぶ)のことだということがわかってきました。
吉弘鎮信は別の名前として、吉弘宗仭(よしひろ そうじん)と呼ばれていました。吉弘鎮信は大友宗麟の家臣で、1578年に、今でいう宮崎県木城町(きじょうちょう)の耳川で勃発した戦で、戦死したかたなのだそうです。
ひとつの文化財でも、少し調べてみるといろんなことがわかってきて、おもしろいですね。