庚申塔(こうしんとう)がいつ建立されたのか、その記銘を見てみると、”寛政”とか”享保”とか”嘉永”とか聞きなれない年号が刻まれています。これって、だいたい、いつの時代なのかイメージがつかず、なんとなく西暦に直して「1848年か…」とかいって、ぼんやりと流していました。
やっぱり何基も庚申塔を探していると、だいたいどの時代に、こういう庚申塔が建立されてきたのか、時代の流れの地図のようなものがほしくなってきました。そこで、自分流の地図を作ってみました。
上から下へ時代の流れが表されていて、表の1番左側に時代名、左から2番目に元号(げんごう)を書いています。元号って、何なのかイメージがわかなかったけど、要は平成とか昭和とか、天皇によって変わる時代の名前なんですね。
表の一番右は、ざっくりとした庚申塔の時代名です。これは「庚申塔の研究 (1959年)」清水 長輝 (著)という古書を参考にしてつけてみました。
例えば、いちばんはじめに写真で載せた庚申塔ならば、建立元号は”嘉永元年”。
西暦でいえば1848年に建立され、庚申塔のなかでも、比較的末期につくられたものだとイメージがつきます。↓こちらが嘉永元年につくられた国見町大熊毛の庚申塔です。
ちなみに末期につくられた庚申塔たちは、数は多くたてられたけど、簡単な文字塔が中心で、形式内容がバラバラのものが多いんだそうです。「庚申塔の研究 (1959年)」
そして、発見されているなかで、一番古いと言われる庚申塔は長享(ちょうきょう)2年のもの。室町時代ですね。これは、東京の練馬にあるものらしいです。
ネットで探してみると…ありました。練馬区の公式ホームページに掲載されていました。参照「長享二年の申待板碑 (ちょうきょうにねんのさるまちいたび):練馬区公式ホームページ」
これだけ見ると、とても庚申塔には見えず、純粋な板碑のようです。室町時代になってから、板碑には仏教的な要素に加え、民間信仰が結びついてくるようになったそうです。仏教と民間信仰が結びついた独特の信仰が、室町時代から広まりはじめられ、そして板碑に申待供養とか、庚申待供養とかの文字が記されはじめたと考えられています。参照:庚申塔の研究(清水長輝著)
時代のながれがわかる年表を作ることができたので、これから庚申塔をみつけるたびに、建立年を確認し、それがだいたいどの時代に建立されたのか確認してみたいと思っています。