「筑豊の近代化遺産」(弦書房)という書籍で、三松園という場所が紹介されています。
場所:福岡県北九州市八幡西区三ツ頭1丁目11−20
地図:Google マップ
この場所は、個人的にちょっと気になる場所です。書籍のなかでは、以下のように紹介されています。
ここは日本炭礦の前身三好鉱業の経営者三好徳松が、炭鉱で亡くなった鉱夫の供養を行うために昭和四年に開設したもので、現在も約一九〇体の仏像が山の斜面に沿って安置され、附近に診療所も現存する。
多くの仏像が、山の斜面に沿って安置され…という部分。たしか、ぼくがまだ小学生のころ、三松園のあるふきんを探検して、山の斜面に仏像がたくさんある場所をみつけたのをかすかに記憶しています。
斜面を登っていくと、小山のてっぺんに、台座に大きな観音様がまつられていた記憶があります。霞みがかった記憶なので、小学生のとき行った場所と、書籍で紹介されている場所とが合致するかは定かではありませんが、今回、足を運んでみて、ふと昔のことを思いだしました。
記憶と書籍の場所が合っているのか確信できないのは、ずいぶん景色が変わっていたからです。三松園のそばには、寺社があると書かれていますが、その寺社というのが遍照院というお寺と、須賀神社という神社。↓こちらは遍照院本堂横の景色です。
↑写真の左奥に階段がありますが、ここからどうも山の斜面に続く道があるのではないかと思います。思います…というのは、実際にはこんな感じ↓。草木がぼうぼうで、足を踏み入れることができませんでした。
でも、草木の間を目を凝らしてみてみると、観音様が何体か祀られているのが確認できました。小学生のころの記憶だと、こんなに草木はぼうぼうではなく、山肌が露出していたように感じます。そして、つづら折りの坂道が尾根まで続いていたように記憶しています。
書籍には、↓このような「三好徳松君像台座」というものが残されていると書かれていました。
でも境内のどこを探しても、見つけることができませんでした。草木でぼうぼうの山道先にあるのかもしれないと思い、家に帰って、google mapの衛星写真で確認してみました。すると、たしかに「三好徳松君像台座」と、その隣の鳥居らしき建造物がありました。境内からわずかな距離ですが、完全に草木でかくれていたんですね。
さらに、小学生のときの記憶で、この山道を登っていくと、尾根付近にあると予想される観音様を探してみると、かすかに緑のなかに異質なものが確認されます。これが、昔みた観音様なのか?↓
さらに向きを変えて、拡大してみると↓ふたつの建造物が確認されました。
たしか、記念碑のような石塔と、観音坐像があったような…この画像をみてから、小さいころの記憶と、この場所が合致しているのに、だんだん確証がもてるようになりました。いつか、この場所に再訪してみたいな…
地形図で確認してみると、わずかに山道が残っているようです。