福岡県で板碑(いたび)をみたのは、これがはじめてです。この板碑は福岡県宗像市にある鎮国寺(ちんこくじ)の境内に祀られています。
宗像市が発行している「宗像遺産-文化遺産編-」をみていて、この板碑が紹介されていました。このような本に乗せられている写真を撮っているのは、さすがプロですね。その写真の美しさに、ぜひこれは見てみたいと思って、鎮国寺へ足を運んだわけです。
本に掲載されている写真は、照明を使ったのか、自然光で撮ったのかはわからないけど、しっかりと陰影が写されてて、板碑の凹凸がはっきりとわかります。なんて美しいんでしょう。
実は、鎮国寺にこの板碑を探しに行ったのは、二回。一回目はどこにあるのか探せなかったんです。家族を待たせていたので、あんまり鎮国寺境内をうろうろしているのも悪いと思ったので、その日はあきらめました。
二回目の2017年3月20日は、じっくり探せるよう時間を十分にとりました。どこにあったかというと↓、航空写真でいうとこのあたり。鎮国寺本堂の南西にあたる丘の上でした。
鎮国寺の板碑:福岡県宗像市吉田984
現在地から鎮国寺の板碑:Google Maps
境内にある「一休庵」というお土産屋さんの裏っかわに、山道がのびています。この山道には四国八十八箇所めぐりに倣って八十八体の石仏が祀られています。石仏の台座に、個人名や住所が刻まれているところをみると、石仏一体一体は個人が奉納したものだと思われます。
そんな石仏の78~80番札所がかたまる場所に、目指す板碑が祀られます。
板碑には阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)が刻まれ、如来さまの親指と人差し指は輪っかをつくるように結ばれています。
この結びかたは上品中生来迎印(じょうぼんちゅうじょうらいごういん)というそうです。この印は、阿弥陀経(あみだきょう)を持たないで、お経を読むことができなくても、正しい道理に沿って生きたひとは誰でも浄土に導かれることを示す印なんだそうです。
阿弥陀如来の下には、元永二年(1119年)に、この板碑が造られたことが刻まれています。造ったひとは沙弥妙法(しゃみみょうほう)という人物。
この妙法というかたは、以下のものも造ったという記録が、この板碑に記されています。
・十二万本の卒塔婆(そとば)
・金銅の阿弥陀像
・仏菩薩の画像、天蓋(てんがい)・幡(ばん)・華鬘(けまん)などの装飾
・極楽を飾る宝樹・迦稜頻伽(かりょうびんが)
・弥勒仏頭など
大分県では、古いお寺をめぐっていると板碑が祀られているのをよく見かけたのですが、福岡県ではこのような板碑はあまりみかけません。庚申塔(こうしんとう)のように、古い時代に造られていたものなんでしょうね。
板碑をネットで調べてみると、
板碑(いたび)は、主に供養塔として使われる石碑の一種である。
板碑は中世仏教で使われた供養塔である。板碑 - Wikipedia
…とあり、今でいうお墓にある卒塔婆(そとば)のようなものと解釈しました。昔は石で作られていた板碑が簡略化されて、木でつくられるようになったんでしょうか。