平清盛の死後、平清盛の孫にあたる安徳天皇は源氏に追われ、九州の太宰府に都落ちしました。その後、福岡県遠賀郡にある山鹿城に移りました。後に下関、壇ノ浦の戦いで平家は滅びるのですが、それまでの間、山鹿城で安徳天皇をはじめ、平家は身を隠したのだそうです。
このとき、山鹿城の家来である藤次秀遠が、大君という場所に、安徳天皇のために、仮の御殿をつくったそうです。
その御殿があった場所には、今、大君神社が祀られています。
現在地から大君神社: Google マップ
大君神社は、福岡県遠賀郡 山鹿城があった場所のすぐ近く。↓こんな感じで、郊外にあるなんとも寂しい感じのする神社で、車で通るたびに気になっていました。こんもりとした小山になっていますね。鳥居はあるけど、どんな境内なんだろう。
実際に行ってみることにしました。
参道の石段は途中で途切れ、石段がなくなってからは、岩のゴツゴツした山道となります。
標高は31m程度なので、すぐに大君神社境内のある山頂にはすぐに辿り着きました。これは拝殿でしょうか↓
壁のない建物の奥には、安徳天皇が祀られている祠がありました。
菊の紋が刻まれている祠に手をあわせ、祠のさらに奥へと足を運びます。
さらに一基の祠と、もうひとつ祠が祀られていたと思われる台座。
祠の奥にはかすかに人の踏み跡がみられ、そのまま平坦な荒地を歩いて、青葉台という住宅街にでていけそうでした。
でも今日はここまでとして、引き返します。祠の裏側から境内をみると、木漏れ日が差し込んでいました。
神社の縁起を調べてみると、その土地の歴史がわかってきて、おもしろいですね。