なんともない田園風景ですが、↓下の写真の小さな山は豊前坊山という、ちょっとした伝承の残る山です。場所は福岡県遠賀郡水巻町。この山に登れるかどうか試してみました。この山にまつわる伝承とともに、豊前坊山に登る行程をご紹介します。
伝承は「水巻昔ばなし」(柴田貞志 著)の内容をそのまま引用します。この史料は、昭和61年に発行されていますが、平易な文で書かれているので、とてもわかりやすいです。
難しい言葉で書かれそうな伝承も、読者の立場に立って「こっちこっち」と、理解へと導いてくれるので、こういう本はとてもありがたいですね。
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むかし筑前国朳(えぶり)村の遠賀川渡しに、親娘(おやこ)の渡し守りが住んでいた。
二人とも評判の正直者で父親の利助は雨の日も風の日も毎日、旅人を川船に乗せて広渡村との間を往復していた。
また渡し場のすぐそばに茅(かや)ぶきの小さな家があって、娘のミツは、そこで家事をしながら菓子やワラジなどを売っていた。
ミツは船頭の娘にしてはまれにみる器量よしで、そのうえ幼いときから川のそばで洪水や飢饉などの、世の中の悲しい出来事をみてきたので、心のやさしい内気な娘であった。
年ころになったミツは、生まれつきの美しさにしとやかさが加わって、ちょうど岩かげに咲いた白百合のようで、川を渡る旅人はもちろんのこと、近郊近在の若者たちのあこがれの的であった。
もっともミツには思っている若者がいた。それは朳(えぶり)村の水呑み百姓で、みなから正直者の松吉といわれた男で、松吉が川に魚とりにいったのが縁で、二人は言葉をかわすようになった。
しかし内気でやさしいミツのこと、それはおもてに出さず、ただ心のなかで思っているだけであった。
ある日のこと、父親の利助が、
「ミツ、お前も年ころになったので、お嫁に行かなくてはなるまい、しかし、お前に好きな人があれば別だが…」と、それとなく問うてみた。
しかし内気なミツのこと、それには答えず、ただ下をむいて黙っているだけであった。
十日ほどして利助は、ミツに好きな若者がいないと思ったのか、今までの降るような縁談のなかから、二人の若者を選んで連れてきた。
そしてミツにいった。
「この二人のどちらか好きな方を婿に選ぶがよい」
その一人は庄屋の息子で家柄がよくて大かね持ち、もう一人は文武両道にすぐれた若侍で体が大きくつよそうで、どちらも好男子であった。
ミツは、その場では答えず、返事を明日に延ばしたので、その晩、二人は朳村に泊ることにした。
ところが夜中から、天の底が抜けたような大雨、そのために遠賀川はまたたく間に氾濫して大洪水となった。
夜があけると親子は、川のなかにとり残されて濁流のなかにあった。しかし利助は上流から流れてくる人を助けるために、船を出さなければならないので、あとはミツだけが残った。
ところが水かさはますます増すばかりで、ついに家に残ったミツは屋根の上から朳村へ助けを求めたが、さか巻く濁流のなか、だれひとり助けにくる者はなかった。
ミツは、もうこれまでと思ったとき、一人の男がザンブとばかりに濁流へ飛び込んで、泳いでくるのがみえた。
ミツはてっきり利助の連れてきた、庄屋の息子か若侍ではないかと思った。
しかし抜きてを切って近づいてきたのは、水呑み百姓の松吉であった。その松吉がミツの手をつかむと同時に、家は流されて濁流のなかへ放り出された。
二人は古賀の村境いまで流されて、もうこれまでと生きてきたことを感謝して、抱き合って沈んでいった。
ところが神の助けであろうか、すぐ水底に足がとどいて、濁流はまたたく間に引いていった。
「助かった…」
二人はホッとして周囲をみわたすと、なんと小高い山の上に立っていた。村人たちは正直者の二人を助けるために、そのとき山ができたものと思い、それからはこの山を神として祀るようになった。
しかも、山は洪水のたびに人を助けたので次第に高くなり、今では豊前坊山といって、あがめられる山になったという。
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と、ここまでを豊前坊山の山頂までの行程を写真で紹介してみました。山頂は残念ながら草木がボウボウで見通しは悪かったです。樹々の間から遠賀郡や遠賀川を見おろすことができましたが、樹々がなければさぞかしいい景色でしょう。
下山は、上の地形図に記された軌跡のように、登り口の久我神社とは反対側に降りることができました。
降り口は住宅街となっていて、ちょうどアパートの裏っかわの墓地に降りてくるかたちとなりました。
豊前坊山の伝承には、まだ続きがあって、以下のように朳伊豆神社(えぶりいずじんじゃ)に祀られる庚申塔(こうしんとう)にもつながりがあるのでした。
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なお松吉とミツは結ばれて、夫婦仲よく渡しもりをしたというが、のちに夫婦は豊前坊山の形をした石を採ってきて、旅人を守る庚申塚(こうしんづか)を遠賀川のほとりにつくったのが、朳(えぶり)の庚申塚であるといわれる。
その後、庚申塚は川の回収工事のため移転させられて、今は朳伊豆神社境内に祀られている。【「水巻昔ばなし」(柴田貞志 著)】
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こちらが、松吉とミツがつくったといわれる庚申塚。
一見すると、なんともない田園風景の場所でも、残っている伝承とともにその地を歩いてみると、楽しい発見がありますね。