神功皇后(じんぐうこうごう)の伝承は全国各地にあるそうです。ここ魚鳥池(ぎょちょうがいけ)は、神功皇后のために掘られた池で、今も井戸という形で、伝承とともに残されています。
こういう、地域に根ざした話をたどって歩くのは、ちぎれた糸を、ひとつひとつ紡いでいくようで楽しいですね。細かい作業ですが、気持ちは落ち着きます。
昔 海だった魚鳥池
福岡県北九州市若松区に魚鳥池(ぎょちょうがいけ)はあります。
昔この若松区あたりは海だったそうです。ぼくが小さいころ、若松区にある小高い岩山なんかから、貝の化石をたくさん見つけました。
神話のなかだけの話ではなくて、遠賀川は今よりもずっと川幅は広く、洞海湾も大きかったそうです。わかりやすい地図がこちらのサイトに掲載されていました。
温暖な気候になった約5000年前には、北九州市の洞海湾沿岸の平野部はその大半が海面下にあり、洞海湾西側を流れる遠賀川の下流にも大きな湾が形成され、それぞれが、古洞海湾、古遠賀湾と呼ばれていました。(伊都国への旅路を検証する | 日本とユダヤのハーモニー)
たしかに古洞海湾が、現在の北九州市若松区の奥ふかくまで入りこんでます。
神功皇后の怒りをおさめるためつくられた池
神功皇后が、山口県の北側にある長門(ながと)から筑紫(ちくし)に向かう途中、この洞海湾で舟がすすまなくなり、立ち往生したそうです。神功皇后に忠誠をちかっていた熊鰐(くまわに)というひとが、これをみて沼や池をつくって、魚と鳥を集めました。神功皇后の気持ちをなごませるためです。このとき作られた沼や池が魚鳥池(ぎょちょうがいけ)と呼ばれるようになりました【日本書紀】。
池といっても池はありません。その場所からは湧き水がでているそうで、いまでは井戸となっています。井戸は、民家のすぐ隣にあって、柵に囲われてます。
魚鳥池に関する そのほかの史跡は歩いて行ける
魚鳥池に関連する石碑とか神社は、魚鳥池の近くにちらばっています。位置関係はこんな感じ↓
それぞれ歩いて5分くらいの距離。
魚鳥池の石碑
これが魚鳥池の石碑です↓田んぼの真ん中にぽつんとあります。
岬だった魚鳥池神社境内
そして、こちらが神功皇后が祀られてる魚鳥池神社(ぎょちょうがいけじんじゃ)。
ちょっと小高い丘の上に本殿が祀られてます。
昔、この景色↓の場所はずっと洞海湾だったんですね。小高い丘上の境内は海につきだす岬。
小さな境内とお宮。お宮に手を合わせます。周りにひとの気配はありません。
お宮の周りにはいくつか祠が祀られてました。
魚鳥池神社の場所:福岡県北九州市若松区払川
現在地から魚鳥池神社:Google マップ
まとめ
一見、ちいさな神社ですが、日本書紀にも名が残っているような深い歴史のある神社もあるんですね。神功皇后に焦点をあてて神功皇后ゆかりの神社を歩いていくみたいに、ひとりの人物に焦点をあてて史跡を渡っていくと、思わぬ発見があります。これが地方歩きの楽しさですね。