↑大分県豊後高田市田染(たしぶ)大曲(おおまがり)にある金高墓地(かねたかぼち)。中央にどっしりとかまえているのが宝塔(国東塔)。
多彩な石造物が国東半島の魅力
大分県に住んでいると、昔から残されている風景や石造物に心を打たれます。
国東半島の石造物は、主に中世時代につくられたものと紹介されています。中世時代というと…ざっと西暦1000年~1500年の期間。その間に主に石造物がつくられたのですね。
約1000年前に作られたものが、国東半島各所でふつうに目にすることができる。それが、国東半島の魅力のひとつだと思います。
その石造物の名前には、初めて耳にするようなものもあります。例えばこのようなもの↓
板碑(いたび)
先祖を供養するための石碑。護聖寺↓
宝塔
先祖を供養するための塔。国東半島の宝塔は特殊な形で、特に「国東塔(くにさきとう)」と呼ばれています。岩戸寺↓
庚申塔(こうしんとう)
村の守り神。村の外れに、道祖神などの石の神様といっしょに置かれることが多い。成仏寺↓
歴史に疎いため、こういった名前は大分県に移り、史跡巡りをはじめてから徐々に知るようになってきました。もちろん、目にするのも初めてでした。
国東半島のオリジナル石造物 国東塔(くにさきとう)
他にも、国東半島では珍しい石造物をたくさん見られますが、これからご紹介するのは国東塔(くにさきとう)と呼ばれる宝塔。今回は、大分県豊後高田市田染(たしぶ)大曲(おおまがり)にある金高墓地(かねたかぼち)にある国東塔です。まさに辺境の地?にある文化財です↓
金高墓地の場所
金高墓地の国東塔をめざして
金高墓地は、付近にある真木大堂(まきおおどう)というお寺の駐車場から徒歩30分ほどで着きます。金高墓地までは、車一台がやっと通れるほどの農道で、途中Uターンができるような場所はないので、歩いていって正解でした↓
農道は、ゆるやかな上り坂になってます。農道の途中で、後ろを振り返ると田染(たしぶ)の村が見通せます。↓手前の、草ぼうぼうの斜面は昔、綺麗な棚田だったそうです。過疎化がすすんで、いまでは残念ながら、その綺麗な棚田の景色を見ることはできません。
『中世の村を歩く』朝日選書(石井進著)という本の情報だけを頼りに、正確な場所がわからないまま、この地を訪れました。だから無事にたどり着けるのか、道中は不安いっぱい。狭い農道の行き止まりに、目指す金高墓地が見えてきたときは、ホッとしました。「まちがってなかった~」
↓どっしりとして、立派な宝塔です。高さ2.3mの県指定文化財。これに刻まれている日付は1375年(永和元年)の4月。640年ほど前の作品です。
この宝塔は、640年前にはここにも村があったという証しです。
宝塔のそばには五輪塔↓など、これまたいくつかの石造物が祀られています。
ガイドブックに載っていないような文化財を探してまわるのも宝探しのようで、なかなか楽しいものです。