国東半島に岐部(きべ)という地名があります。ここはキリスト教に改宗したひとが多かったといわれる地域。この地域の象徴となっているのが、ペトロ・カスイ岐部(本名: 岐部 茂勝(きべ しげかつ))という日本人です。
初めて聖地エルサレムまでいった日本人
この方のことを知りたいと思って、EXCELでポチポチと略歴とその時代の出来事を表にしてみました。すると、”キリスト教の日本からの排除”という逆境のなかで生きてきた人なんだとわかりました。しかも、そんな時代のなかでも、日本で布教をしてまわったそうです。
↓ペトロ岐部の銅像
ペトロ岐部の略歴と、日本でのキリスト教に関する出来事を、表にまとめてみました↓
国東半島の国東市岐部で生まれたそうです↑。岐部が生まれたときから、日本国内では、キリスト教への迫害がはじまっていました。
豊臣秀吉が没し、徳川家康の統治時代に入った初期、キリスト教は公認されていたようです。だけど、「岡本大八事件」から、ふたたびキリスト教への迫害がはじまったようですね。
時代は江戸ですが、28歳のペトロ岐部はローマに向けて出発しました。う~んすごい。
日本国内のキリスト教にとっては苦難の時代。それでも、あえてペトロ岐部は、布教のため日本へもどってきます。
最終的に仙台藩に捕えられ、拷問の末、亡くなられてます。それからも230年ほどキリスト教の排除はづつきます。
↑井上筑後守政重(いのうえちくごのかみまさしげ)によって訊問されている様子が銅像となってます。
生誕地につくられたアート作品
このような、ペトロ・カスイ岐部のエピソードにインスピレーションを受けて、アーティストの川俣正さんが【説教壇】を制作されました。↓
国東半島芸術祭「岐部プロジェクト」 - 国東市ホームページにはその制作風景が紹介されてます。
先日、足をはこんでみましたが、まだ公開されてませんでした。残念。公開は10月4日からです。
回廊をゆっくり一周することでペトロ岐部が歩いた世界を追体験し、国東半島が世界とつながっていることを実感してほしい
・・・というのが、アーティスト 川俣正さんの想いだそうです。